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2005年には難病を患い、生と死の境をさまよった
滋さんは1997年から2007年までの10年間、北朝鮮による拉致被害者家族会の代表を務めた。その間、2005年12月に血液の難病の「血栓性血小板減少性紫斑病」と診断され、生と死の境をさまよったことがあった。めぐみさんが1977年に行方不明になって以来の長年のストレスや心労がたまり、気が休まる日は1日もなかった影響も大いにあろう。
2017年2月5日に早紀江さんの誕生日にあわせて行われた「横田夫妻を囲む会」では、滋さんは会話や歩行がすでに不自由になっているように見受けられた。そして、自分が話さない分、マスコミの取材に普段通りにテキパキとお答えになる早紀江さんをそばで優しく見守るように、にこやかに、はにかんだ表情をみせていた滋さんが忘れられない。
上記は、その際に筆者が撮影した動画である(https://www.youtube.com/watch?v=tmI20riicvw&feature=youtu.be)。その最後の場面になるが、早紀江さんが滋さんの歩行を支えるために、後ろからそっと腕組みをした。筆者を含めた周囲の人々が「滋さん、羨ましい」「滋さん、いいな」などと声をかけると、滋さんはこの時も思いっきりはにかんでいた。嬉しそうな表情が印象的だ。
聡明で、はにかみ屋さんだった滋さん、長い間、お疲れさまでした、ゆっくりお休み下さい。天国で安らかに。