「通夜襲撃」というタブーを犯した衝撃は大きかった。稲川会は、大前田一家総長の小田建夫を絶縁、さらに別の最高幹部も引責辞任した。大前田一家は江戸時代からの系譜をひく老舗の名門組織だったが、稲川会は関係者の処分だけでなく、この歴史ある「大前田一家」という名称を傘下組織に使わせないことも住吉会側に提示し、事態は収まった。
当時を知る稲川会幹部が振り返る。
「あの頃、住吉会との間である組織の帰属をめぐって揉めていたから、そのうち大きなケンカになると思っていた。通夜の席で発砲することは不文律であってはならないことだったが、当時稲川会の内部では『よくやった』という評価だった。その代償は大きかったわけだが……」
組内では成果とされたという四ツ木斎場事件だが、この幹部が証言するとおり、稲川会はその後に大きな痛手を負うこととなる。
「前橋スナック乱射事件」とは
次の事件を引き起こしたのは、住吉会矢野睦会会長の矢野治ら幹部だ。“タブー破り”を犯した稲川会との和解に不満を募らせていた矢野らは、稲川会大前田一家に所属していた元幹部を執拗に付け狙った。
そして、ついに2003年1月、大前田一家の元幹部がくつろいでいた前橋市内のスナックに住吉会矢野睦会の幹部2人が乱入、拳銃を無差別に乱射した。命を狙われた元幹部は奇跡的に難を逃れたが、暴力団の対立抗争事件とは無関係の一般の客3人が巻き添えとなり死亡。店外では元幹部のボディーガード役だった元大前田一家の組員も射殺され、計4人が殺害された。
当時の状況を知る暴力団幹部が振り返る。
「襲撃役は人相が分からないようにヘルメットをかぶっていた。ところが、真冬だったため、店内に入るとフェイスガードが曇ってしまい、誰がどこに座っているのか良く分からなくなり、とにかく拳銃を撃ちまくった。それで無関係の客に当たってしまった」
あまりに残虐で理不尽な被害を招いた矢野らの暴力には当時、非難の声が相次いだ。