この事件では、指示役の矢野と実行犯2人の計3人に死刑判決が言い渡されたが、その後の経緯も異例だった。
矢野が死刑判決が確定する2014年ごろから、1997年の神奈川県内の再開発トラブルと、1998年の金銭トラブルという2件の殺人事件への関与を告白する手紙を警視庁に出していたのだ。2件の殺人事件は、いずれも警察は把握していなかった。
矢野の自白通りに遺棄された男性2人の遺体が発見され、矢野は2017年に殺人容疑で逮捕された。ところが、矢野は手のひらを反すように公判が始まると無罪を主張。その目的は裁判を長引かせ、自らの死刑の執行を先延ばしさせることだった。
死刑判決後に延命を図った男
だが、判決はその目論見を打ち砕く。2018年12月に東京地裁で言い渡された2件の殺人事件についての判決では、「自白の目的は死刑執行引き延ばし」「虚偽の自白をする動機があった」などと事件への関与はなかったとの判断が示され無罪となった。
この事件を担当した裁判長は判決言い渡し後、「あなたから控訴は出来ません」と発言。無罪を勝ち取った矢野が控訴するということは、客観的な利益や正当性が認められないということだった。裁判では検察は控訴せず終結。司法を悪用した命乞いは万策尽きた。
手を尽くして延命を図ってきた矢野だったが、2020年1月26日、東京拘置所で死亡した。法務省によると、首に切り傷があり自殺とみられた。71歳だった。動機は不明のままだ。
四ツ木斎場事件を知る暴力団幹部は、「“業界のタブー”を動機に事件を起こした矢野はヤクザの歴史に名を残すはずだった。しかし、最後に全く見苦しい姿をさらした」と断罪している。
矢野は前橋スナック乱射事件の前にも、大前田一家の元幹部宅に向けて発砲していたほか、火炎瓶を投げ込むなど執拗に攻撃を続けていた。ここまでの執拗さは、葬儀の席を狙われた汚辱を晴らすためだったのか。いずれにせよ正当化できない一般人をも巻き込んだ残虐な犯行だ。