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霧の中にいるような状態のまま、人々は働き始めている――村田沙耶香の「パンデミックな日々、日本にて」#9〈最終回〉

2020/06/17

 ☆朝10時→東京駅の近くの本屋に集合。※エッセイの企画。遅刻厳禁。

 手帳には、久しぶりに外での仕事の予定が書いてあった。つい最近まで手帳にたくさん書いてあったイベントや対談など仕事の予定がほとんど中止になり、塗りつぶされ、たまにオンラインの予定があるだけになっていたのだ。

 まだ元通りではない。けれど、様々な仕事のメールが、「オンラインでのお仕事になりますが、skypeはご利用になれる環境でしょうか?」という感じのものから、「こちらのお仕事は、以下の二通りの方法を考えています。(1)オンラインで行う。(2)マスクをして二メートル離れ、換気をし、アルコールでの消毒なども徹底し、細心の注意を払って行う。皆さんのお気持ちを最優先しようと思っています。ご希望をどうか率直にお聞かせください。」というニュアンスのものに変わりつつある。今日の仕事は、本屋さんに行って実際に本を買い、そのことについてエッセイを書く、というもので、オンラインでは難しい内容なのだった。

 現地でお会いした編集さんに聞くと、お一人はほぼリモートで、もうお一人は週の半分くらいは会社に出勤しているとのことだった。街を見回すと、かなり人が戻っているように見える。多くの人は、スーツを着ていたり、きりっとしたシャツ姿だったりで、ほとんどが仕事でここにいるのだと感じる。

 コロナ禍の前は、東京駅周辺は、新幹線に乗るためにスーツケースを引いている人が多く、旅行の人だらけで、ラフな服装の人もそれなりにいた印象があるが、そういう雰囲気の人は見かけなかった。

©iStock.com

 本屋さんのレジにもビニールのカーテンがあり、レジは距離をあけて並ぶようになっていた。あいている本屋さんがあまりなかったとき、皆、家で読むための本を探していて、開いていた本屋さんがとても混んだという話を聞いたことがあった。この本屋さんも自粛が終わって聞いたときは混雑したそうだが、一方で、海外からのお客さまがまったくいなくなり、洋書がほとんど売れてないのだという。洋書コーナーに行く途中、雑貨のスペースのそばでマスクが売られているのを見た。少し前までどこに行ってもなかったのに、今は本屋さんでマスクが売られているのか、と不思議だった。

 仕事の後、どうしても片づけたい原稿があり、開いている喫茶店におそるおそる入ってみた。行き慣れた店だが、以前とかなり違う。ドアを開けて換気し、テーブルの半分は撤去されて客同士が離れて座れるようになっている。店員さんは頻繁にアルコールでテーブルを拭いていた。どうしても集中できず、結局すぐ家へ戻った。

 夕方になると、本日の東京の感染者のニュースが報道される。今日は13人。それが多いのか少ないのか、これからこの数字がどうなっていくのか、もうわからない。霧の中にいるような状態のまま、人々は働き始めている。

※こちらのコラムは南ドイツ新聞に寄稿したものです。

 
村田沙耶香 ©文藝春秋

村田沙耶香
小説家。1979年、千葉県生まれ。玉川大学文学部卒業。2003年「授乳」が第46回群像新人文学賞優秀作となりデビュー。09年『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。16年『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。著書に『マウス』『星が吸う水』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』『生命式』などがある。

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