緊急事態宣言が解除され、少しずつ近所のお店が開いたり、友達の会社のリモートワークが終わり再び通勤し始めたりしている。電車は混んでいて不安だと言っている友人もいた。
緊急事態宣言が出ている間、何人かの友達とは、かなり深刻なメッセージのやりとりをしていた。保育園が休みになり、夫もリモートワークになり、家事育児と夫の世話を全部ひとりでやっていて倒れそうな友達が何人もいた。今日は疲れて冷凍食品を使ってしまった、と懺悔する友達すらいた。
なぜ冷凍食品を使ったら責められるのか、なぜ彼が家にいるのに全部彼女が一人でやっているのか、という気持ちになったが、限界が来ている友達に、議論しろ、怒れ、戦え、と言って今以上に追い詰めてしまうのも苦しくて、ただ労わって話を聞いていた。
少し前だが、コロナ離婚という言葉も流行っていた。子供も大人も、家という密室の中を出られなくなってしまうのは恐ろしい。誰かが爆発したとき、自分が爆発しそうなとき、密室から逃げることが困難な状況であるのはとても怖い。
数日前、私はとてもお世話になった方にどうしてもささやかなおくりものがしたいと思っていた。その方は日本での2年ほどの滞在を終え、なんとか飛行機が飛ぶため海外へ帰る直前だった。その方が近くで仕事があったおかげで急に2時間ほど会えることになったのだった。インターネットで買うのでは間に合わず、デパートが時間短縮をしながら営業していることを知った。混んでいたらすぐに引き返そうと思いながら向かってみた。入口は1か所を除いて閉鎖されていた。手をアルコールで消毒し、カメラのようなもので体温をチェックし、中に入った。入口の外も中も、ほとんど人はいなかった。
店員さんは、顔をブロックするフェイスシールドをつけており、売り場のあちこちに透明なカーテンがついていた。普段とは全く違っていて、おかしなSFの世界にいるようだった。小さな刺繍のブローチを買って、すぐ外に出た。たぶん、誰か真面目な人に見つかったら殺されるだろう、と思った。久しぶりに家の外に出たので、脚がよろよろしていた。何もかもが、奇妙だった。
つい昨日、都内の新しい感染者が増えて、「東京アラート」という聞き覚えのないものが出され、警戒が呼びかけられた。ニュースの写真をみると、都庁とレインボーブリッジが赤くライトアップされていて、知らない場所のようだった。私は再び自分を隔離して、ベランダで小説を書いている。この日常が奇妙でなくなる日がいつなのかは、まだわからない。
※こちらのコラムは南ドイツ新聞に寄稿したものです。
村田沙耶香
小説家。1979年、千葉県生まれ。玉川大学文学部卒業。2003年「授乳」が第46回群像新人文学賞優秀作となりデビュー。09年『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。16年『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。著書に『マウス』『星が吸う水』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』『生命式』などがある。