5年後に直面した“大きな壁”
当初、プロジェクトは3年の予定だった。その間に村林は、退蔵院以外の場で襖絵を数多く描き、技術を磨いていったものの、目的である退蔵院本堂の襖絵にはなかなか着手することができなかった。何を描くべきかについて、どうしても彼女は、これだという確信を持つことができなかったのだ。
その答えを見つけるべく、3年という期間が過ぎた後も、厳しい坐禅の修行に身を投じ、禅と絵と向き合った。そうしてさらに1年、また1年と自身を追い込んでいく中で、彼女はいつしか、自分が容易ではない状態へと落ち込んでいることを知ったのだった。
プロジェクト開始から5年が経って直面したその大きな壁を、村林は、複数の僧侶や指導者、身近な人に見守られながら乗り越える。そしてついに、退蔵院に描くべき像にたどり着き、さらに練習を重ねた後の2019年、76面の襖絵に着手するに至ったのである。
プロジェクト開始以来の9年の間、私はその過程を近くで見させてもらってきた。一度は彼女が行っている坐禅修行も実際に経験するなどし、村林がいったいどんな思いで絵と向き合っているのかを想像しながら、その姿を見つめてきた。あまりに張りつめた様子の彼女に近づけなくなった時期もある。しかしそれゆえに、彼女が退蔵院の襖絵の完成に向けて歩んできた日々に対して、自分なりに大きな感慨を持っている。
2017年に、村林は大きな苦難を乗り越えて描くべきモチーフにたどり着き、その内容を、長い巻物に絵と文字で描出した。私は、それを見せてもらったとき、その中に込められた深い思いに打たれ、思わずこみ上げてくるものがあった。そこに至るまでに彼女が経てきた日々を思い、声を出すことができなくなった。
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その村林の9年間を、「文藝春秋」6月号および「文藝春秋 電子版」掲載の「令和の開拓者たち」に、誌面が許す限り詳細に書いた。現在の令和の時代に、このような経験をしているのはおそらく彼女しかいないだろう。その稀有な日々と経験は、多くの人に知ってもらう価値があると思っている。また年々スピードが増していく現代に、このようなプロジェクトが発案され、村林由貴という人物がその担い手に選ばれた理由とその根底にある思想についても、是非広く知られてほしい。
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村林由貴(絵師)
【文藝春秋 目次】<総力特集202頁>緊急事態を超えて ウイルスVS.日本人 山中伸弥 橋下 徹/磯田道史「続・感染症の日本史」/WHOはなぜ中国の味方か
2020年6月号
2020年5月9日 発売
定価960円(税込)