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球団オウンドメディアの元祖「ホークスオフィシャルメディア」をともに作った大切な仲間のこと

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/06/19

 ついにプロ野球が開幕する。この「6月19日」が、本当に待ち遠しかった。

 3カ月も遅れて始まる今シーズン。例年と試合数が違うし、導入から15年も続いたセ・パ交流戦はないし、パ・リーグの場合は6連戦をずっと同じ相手と戦う変則日程がしばらく続く。あらゆることが未経験で予測不能だ。しかし、スポーツとはもともと筋書きのないドラマを楽しむもの。先のまったく読めないシーズンだからこそ、いつも以上に楽しむべきなのだろう。

 この3カ月間、どこか刺激のない毎日を過ごしてきた。

 だけど、心が空っぽ……にならずに済んでいたのではなかろうか。

 試合がなくとも、プロ野球はファンとの距離をどうにか保ってきた。この『文春野球コラム』をはじめ様々なメディアがなんとかして情報を届けてきたのもあるが、今はプロ野球の球団が自らメディアを持って情報発信をするのが当たり前になったことが大きかった。

球団オウンドメディアを最初に立ち上げたのはホークスだった

 TwitterやInstagramなどSNSを活用したり、YouTubeに公式チャンネルを持ったりするチームが増えている。ファンを飽きさせない情報や特に動画コンテンツが逐一届けられた。

 このような自社(球団)所有の媒体。いわゆる球団オウンドメディアの強みは、一般メディアが立ち入ることのできない区域で撮影や取材ができることだ。今まで見たことのないような写真や映像の画角はとても新鮮。そして、なかなかお目にかかれない選手の表情も盛りだくさんだ。カメラを持つのは主に球団の広報担当者であることが多い。選手からすればチームの一員だから安心感があり、だからこそ引き出せる表情や言葉がある。

 それが、とても感慨深い。

 この現在形の球団オウンドメディアを最初に立ち上げたのはホークスだった。そして筆者はその創設メンバーの一員だった。数年前まで「ホークスオフィシャルメディア」に身を置いていた。今も引き続きホークス球団へ出稿をしているが、その当時は球団支給の名前入りのジャージを着て取材活動をしていた。

 その原形はソフトバンク球団誕生の2005年にはほぼ完成していたが、正式に立ち上がったのは2007年からだ。

「今までは新聞やテレビに取材をしてもらってファンに情報を届けるしか出来なかったが、ソフトバンクホークスはヤフーというコンテンツを持った。また、これから先はインターネットを通じて中継を見る時代がやってくる。ネットを通じてホークスの魅力や情報を発信していきたいと考えている」

 当時の球団広報部長からの誘い文句だ。今思えば、すごい先見の明だ。

 筆者はライターとして参加をしたが、より重要だったのが映像部門。試合中継やドームのビジョン制作を行う会社の協力を得て映像ディレクターが加わり、レポーター、そして自分の3人が中心メンバーなりスタートしたのだった。

ホークスオフィシャルメディアの取材に応じ、ポーズを決める松田宣浩 ©田尻耕太郎

 以来、この仕事のおかげで2月のキャンプは現地にべったり滞在して取材することができている。また、チームの優勝や日本一などビッグニュースが生まれる際はビジターでも現場に出向いて取材をする。ホークスが強いおかげで全国各地を渡り歩かせてもらった。

 初めの頃は正直苦労もした。何もかもが手探りだったし、あの頃はまだ「オフィシャルメディアって何?」とチーム内でも怪訝な顔をされたこともあった。取材を負担だと考える選手もゼロではない。しかし、状況や周りからの反応が徐々に良い方向へ変わっていくのを肌で感じながら前に進んでいたから、ツラくて辞めたいと思ったことは一度もなかった。