トゲはなく、思い上がりもない。彼のコメントは優等生だった。

 昨季、キャリア初の二桁勝利をあげた高橋光成が6月23日のソフトバンク戦で今季初先発。6回途中までを投げて被安打4、3失点で今季1勝目をあげた。

「全体的にはうまく投げられたと思います。 ただ、点を取ってもらった後に失点したところ、また6回も回の途中でダラッとして交代してしまったことが反省点ですね。全体的に投球を振り返るとやはりもっと長い回を投げなくてはならないですね。 週の初めの登板ですし、やっぱり6回途中で降板というのは反省です。ボール自体は悪くなかったので、(次回以降は)締めるところはしっかり締めて、もっといい投球をできるように頑張ります」(降板後の球団発表による)

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 今季初勝利にもかかわらず、反省ばかりが並ぶのは、エース候補と呼ぶにはやや頼りない投球内容だったからである。

 チームが2回にスパンジェンバーグの満塁弾で4点を先制したにもかかわらず、直後の3回表に四球絡みで2点を献上したのだ。球数が100球に近づく中で迎えた6回表には、安打と四球で無死1、2塁のピンチを招くと、5番・長谷川勇也に大きなレフトフライを打たれた(結果はアウト)ところで交代を告げられた。

 こんなんじゃエースなんてほど遠い――そうとでも言いたげな首脳陣の視線を感じていたのだろう。反省点ばかりを挙げた高橋光のコメントは、優等生のものだった。

 もともとの高橋光はほんわかとしたタイプだ。ギラギラした印象は受けない。かと言って寡黙でもない。取材する側としては困らないのだが、一方、はっきりとした考えがないような印象を受けたのもまた事実だった。メディアと友好的に立ち回るのはうまいが、今の置かれた状況わかってる? そう問いただしたくなるような選手だった。少なくとも2年前までは。

6月23日のソフトバンク戦で今季1勝目をあげた高橋光成

周囲との調和ばかり考えてきたのかもしれない

 高橋光とのやり取りで最も記憶しているエピソードがある。東京五輪について聞いたときのことだ。実は、高橋光は、東京五輪の開催が決定した2013年当時、台湾にいた。森友哉(西武)や山岡泰輔(オリックス)、松井裕樹、安楽智大(ともに楽天)、上林誠知(ソフトバンク)らとともにU18日本代表の一員としてW杯を戦っていたのだ。

 時の指揮官・西谷浩一監督(大阪桐蔭高校)は、この日本にとって歴史的な決定に、森・高橋らにこう語りかけている。

「これは運命やぞ。異国の地で、世界と戦っているときに、東京五輪決定を聞いた。これは何かの縁がある。東京五輪を迎えた時、今いるメンバーは24、5歳になっている。野球選手として、ちょうど脂が乗ってくる頃や。この中から東京五輪に選ばれるように、頑張ってくれ」

 この時の話を森や松井などに確認したところ「あー、なんか言ってたような気がします」とうっすら記憶にあると思い出してくれた一方、高橋光は全く覚えていなかった。しかし、こう付け加えてきたのだった。

「でも、記事にするときは、覚えていたことにしておいてください」

 世間とうまく立ち回ろうとする。そんな性格なのだろう。人は抜群に良いけれど、彼はその人生の中で周囲との調和ばかり考えてきたのかもしれない。自分に強い意思があるようには思えなかった。

高橋光に大きな変化が生まれた2019年

 そんな高橋光に変化が生まれたのは、2019年のことだ。

 1月、チームの先輩にあたる菊池雄星が石垣島で行ったトレーニング・キャンプに参加。菊池が契約しているパーソナルトレーナーのメニューをチームメイトの佐野泰雄や平良海馬とともにこなした。菊池が同年に出版した書籍のインタビューで現地にいた筆者は、数日間、高橋光と同じ時間を共有することができた。「僕の本も書いてください」と相変わらずなノリだったが、このトレーニング・キャンプを終えると、彼の発言の一つ一つに変化が生まれるようになった。

 マインドに変化が生まれ、それらを少しずつ言葉にできるようになったのだ。

 石垣島で何があったかと言うと、トレーニングをイチから見直した高橋光は、その意図を理解するようになった。以前までは漠然と「下半身」と言っていたのが、筋肉の名称まで言えるようになっていた。この練習はなんのためにやるもので、どこの筋肉を鍛えているのか。物事の原理を理解できる選手になっていたのだ。

 昨季の中盤、7勝を挙げた時点の言葉がその変化を裏付ける。

「今まで“感覚を大事にしろ”って言われてきたんですけど、正直、自分のどこがどうなっているのか分かっていなかった。いつもブッツケ本番みたいな感じです。でも今は、(上半身の)開きが早いとか、崩れている部分がわかるようになりました。なんで良かったのか、悪かったのか。100%じゃないけど、答え合わせができるようになりました」

 いわば、以前の高橋光はただ才能に任せてやっていたと言える。なんとなくマウンドに立ち、なんとなく勝って、なんとなく負けていた。1年目にデビューして初勝利から4連勝を飾って月間MVPを獲得したことも、彼を行き詰まらせなかった要因なのだろう。

 しかし、プロの世界はそんなに甘いものではない。

“なんとなく”では通用しない。それが2年目以降の低迷の原因だった。