当初は、「東京」という言葉を明確にテーマとして思い描いていたわけじゃなかった。それよりも、自分の身の回りを撮影し、記録に留めていって作品をつくる、その行為自体に挑戦したかった。
「これまでの私の写真作品というのは、セットアップして撮ったものが中心。身近なものがモチーフになっているときでも、そこにファンタジーの要素を見出し膨らませたりしながら写真にしてきました。だから撮影するときはいつも、『よし撮るぞ』というはっきりした意志のもと、一眼レフカメラを自分の大事な武器のように携えて現場に出かけていた。
今回はそのやり方を根本から変えて、自分の生活の中にカメラを入れ込んでみたんです。カメラをいつも持ち歩くことや、プライベートな瞬間にレンズを向けるということ自体が、とにかく新鮮でした。ニュートラルな心持ちで、ただ撮る。それだけでどんな表現を生み出せるかなと、本当にワクワクしました」
「強力な矯正ギプスみたいなものが必要でした」
日常を撮ることに決めた蜷川実花が、いつも携行すると決めたカメラは、「写ルンです」だった。あの簡易なつくりの、レンズ付きフィルムのことである。
「構えずつくり込まずに何ができるか、という挑戦ですからね。いちばんシンプルなカメラにしてみました。みなさんご存知のように『写ルンです』って、イマドキのデジカメとは比べ物にならないほど融通が利かないというか、ちゃんと写らない。写せる範囲や距離はすごく狭いし、ちょっと暗いところだとフラッシュを焚かないと何も写らないし、ピントを合わせるダイヤルなんてないし、画角を確認しようたってファインダーは穴が空いているだけだし……。
技術的な部分をほとんどいじれず、コントロールもしづらいんだけど、今回はそういうカメラを選択して本当に正解だった。というのも、『無心にただ撮る』って、やろうとすると案外難しいんですよ。やってみるとつい習い性で、これまで自分が頭に描いてきた『いい写真』を撮ろうとしてしまうところがある。
そういう欲や自意識を完全に断ち切るには、強力な矯正ギプスみたいなものが必要でした。そのギプスにあたるのが私にとっては、できることの極端に限られる『写ルンです』だったというわけです」