写真家として、また映画監督として晴々しく活動する蜷川実花が、写真の新作を披露する個展を開催中だ。東京渋谷PARCO MUSEUM TOKYO での「東京 TOKYO / MIKA NINAGAWA」。

撮影:名児耶 洋

これまで避けてきた「東京」と、いよいよ対峙した

 1990年代から作品を発表し続けてきた蜷川実花が、「東京」をテーマに据えるのは意外や今回が初めて。東京生まれの東京育ち、今も生活と仕事の拠点でもある。あまりにどっぷり浸かり過ぎているゆえ、改めて東京という存在に向き合うのはなかなか難しそうと感じてきたのだ。

 それでも今年は五輪が予定されていたこともあり(蜷川は大会組織委員会理事を務めている)、2年ほど前から思い切って対峙しようと決めた。

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 東京を撮るにあたって蜷川が手に取ったカメラは、「写ルンです」だった。そう、あの簡易なレンズ付きフィルムのことだ。これをいつも持ち歩き、自身のリアルな日々を撮ることにした。

 その結果、わが子と戯れる様子から仕事場での著名人との関わり、東京タワーなど土地を象徴する光景まで、多彩で膨大な蜷川流・東京写真が生まれ出てきた。

 それらをセレクトし構成されたのが今展。壁面を埋め尽くす写真群の一枚一枚から、撮り手の日々がくっきりと浮かび上がり、それぞれのシーンの空気までありありと感じさせるものとなった。

 

「写真はやっぱりおもしろい」 

 しみじみそう感じたという今作は、蜷川実花にとっての新境地といえそう。多岐にわたるこれまでの活動や作風に、また新たな軸ができたとも思わせる。

 このような表現が、なぜいま蜷川実花の中から紡ぎ出されたのか。本人に話を聞けた。その言葉に耳を傾けてみよう。

日常を、ただ撮る。それでどんな表現ができるかやってみたら……

 今作の撮影を蜷川実花が始めた2年前とは、後に公開される映画『Diner ダイナー』『人間失格 太宰治と3人の女たち』を監督として撮影し終えたころだった。

「映画監督をしていると、百人単位のスタッフ・関係者と切った張ったのやりとりやコミュニケーションを続けることになります。それはそれで嫌いじゃないし、私が『こうしたい』と思い描いたことを、各分野のプロフェッショナルがかたちにしていってくれるというのはすごくスリリングで愉しいです。

©文藝春秋

 ただ、そういう環境にしばらく身を置いていると、まったく逆のことにも挑戦したくなるのが私の性分。いま周りにあるものをすべて失くして、誰の力も借りられず何のお膳立てもない状態になったら、自分には何が残るだろう? 同じくらいのスケールや質のものをちゃんと創れるのかな? そう思うと、試してみたい気持ちがムクムクと湧いてきてしまう。

 それで、人知れず新しいテーマを掲げて写真の撮影を始めてみることにしたんです」