生活も制限され通電暴行による制裁
外部との接触を断ち切られた裕子さんは、南京錠をつけた四畳半の和室に閉じ込められた。さらには翌30日夕方から31日未明まで延々と通電され続け、「逃げようとしたら捕まえて電気を通す」と脅された。その日以降は、日中も松永の気分次第で通電が行われ、室内で立たされ続けるなどの苦行も強いられた。そして、通勤用の制服を勤務先に送り返させられた彼女は、自由な着替えを許されず、スウェットの上下のみの着用を強制されていた。そのうえで生活にも制限が設けられている。
〈入浴は、約2週間に1回程度、被告人松永の気が向いた時にしか許さず、排便にも、逐一被告人松永の許可を必要とし、小便は、同和室内に用意したペットボトルに排出させることもあった。
さらに、被告人両名は、その間、被害者乙に対し、満足な食事は一切与えず、被告人緒方が用意したラードを塗った食パン約8枚と水のみを与え、被告人松永が、「20分以内に食べろ。」などと命じ、同パンを口の中に詰め込ませて水で流し込ませるという拷問的な苦行を強いた上、これが出来ない場合には、上記同様の通電暴行により制裁を加えるなどしていた。
加えて、被告人両名は、被害者乙に対し、二女を同被害者から引き離して被告人緒方の監視下に置き、両名の自由な会話さえ許さず、時には、同被害者の面前で二女の身体に通電させ、あるいは、通電する旨被害者に告げるなどして、その恐怖感を増大させた〉
生命の危険を感じ、アパートの2階窓から飛び降りて……
法廷では、検察官が淡々とその状況を読み上げるなか、3歳の幼児を巻き込む残酷な犯行内容に、傍聴人は一様に息を呑む。被告人席で微動だにしない緒方とは対照的に、松永は体を小刻みに動かし、ときにそれは違うと言いたげに首を横に振ったりしている。
松永と緒方は、前述の虐待を繰り返しながら、起訴状の付表について取り上げた内容で、96年12月29日から97年3月10日までの間に7回にわたって、裕子さんから現金計198万9000円を強取したのだった。
なお、冒頭陳述で裕子さんは、97年1月頃に松永と緒方から「あんたにサラ金から借りてもらったカネは使ってしまい、もう残っていない。あんたの生活費に使ったのだから、自分たちには責任がない。あんたは内縁でもなんでもなく、赤の他人なんだから」などと冷たく言い放たれたことで、当初からふたりが自分をカネづるにするつもりで近づいてきたこと、松永には結婚の意思など毛頭なかったことを悟ったとある。
〈しかし、被害者乙は、既に精神的にも肉体的にもボロボロで、涙も枯れ果てており、被告人松永から裏切られていたことをなじる言葉すら発することができなかった〉
そのような状態が2カ月近く続いた97年3月中旬。裕子さんに通電をしながら松永が、「電気を通して死んだ馬鹿な奴がいる」や「自分を脅迫した相手が踏切事故で死んだ」と恐怖感をさらに煽る言葉を口にしたことから、彼女は生命の危険を感じるようになった。そして3月16日の午前3時頃、『曽根アパート』の2階窓から飛び降りて逃走。入院加療約133日間を要する重傷を負ったというものだ。