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2020/06/30

 頭の中には言いたいことがたくさんあるのに、出てくる言葉は「お母さん」と「わかんない」の2語だけ。

 旦那がお見舞いにきてくれるたびに、うれしくて、私はたくさんしゃべりましたが、

「お母さんがわかんないからお母さんで、わかんないからお母さんでお母さんなの」。

 旦那にはまったく理解できなかったはずですが、それでも何だかおかしくて、重病人と医療機械がズラリと並ぶ集中治療室で、ふたりでゲラゲラ笑っていました。

自分の名前の漢字も読めず

 経過は順調で、手術から1週間後には集中治療室から一般病棟へ移りました。

 私の病名はくも膜下出血、脳梗塞、失語症。右手も動かないし、握力ゼロ。足も右半身も鈍い。感覚がないので右だけスリッパがすぐどっかへいっちゃう。視野が欠けているので、歩いているといきなりガンッとぶつかる。部屋のテレビも2つあるようにダブって見える。他人の目が4つに見える状態は半年ぐらい続きました。

 この頃の心境を思い出すと、「あれまー」です。

 乱暴な言い方かもしれませんが、薬はイヤだとか、大量に飲み食いするとか、私は好きなようにやって来たので悔いはありません。

 脳梗塞になると足が悪くなる人が多いそうで、6ヶ月の入院中、3~4回病棟を移りましたが、私のように失語症になった人は1人いるかいないかでした。

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 2ヶ月後、私は大きなリハビリテーション病院に移ります。

 私の左脳は、4分の3は残っているはずなのに、何もわからない。右も左も、湯呑みも急須も、トイレも鍵も、電車もバスも使い方が思い出せず、全てが初めての経験。赤ちゃんから再出発って感じですね。服を脱いでお風呂に入るとか、右手が使えない状態で洗濯バサミを取る方法とか、この病院ではあらゆることを教えてもらいました。

 数も言葉も文字もわからない。部屋には私の名札が貼ってありましたが、自分の名前の漢字も読めず、初めて見る記号みたいでした。

 なかでも一番難しかったのはひらがなです。これは、私が特別苦手だったということではなく、一般的に、失語症になった人には「ひらがな」が難しい。だからリハビリの先生は患者に最初に漢字を覚えさせるんです。面白いですね。