出てくる言葉は「お母さん」と「わかんない」の2語だけ。旦那がお見舞いにきてくれるたびに、うれしくて、私はたくさんしゃべりましたが、「お母さんがわかんないからお母さんで、わかんないからお母さんでお母さんなの」。旦那にはまったく理解できなかったはずですが、それでも何だかおかしくて、ふたりでゲラゲラ笑っていました——。(全6回の1回目/#2#3#4#5#6へ続く)

1988(昭和63)年。OLを辞め、執筆生活に入った頃

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おじさんの行動や生態に詳しくなったOL時代

 昔、『週刊文春』に「おじさん改造講座」という連載があったのですが、覚えていらっしゃるでしょうか? 全国にいるごく普通のOLたちに毎週アンケートをとって、面白い回答を載せたのです。

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 連載前には、『週刊文春』のデスクから「せめて10回は続けてくださいね」と言われ、“OL委員会”という名前がつけられました。結局、1987年から1997年まで、なんと11年も続いたのですから驚きです。

最新話は発売中の『週刊文春WOMAN vol.6 (2020夏号) 』に掲載

 私の父は教師、母は専業主婦。4年制の大学を出た私は、男女雇用機会均等法が始まって間もない1985年に就職しました。ソフトウェアを開発する会社です。

 会社とサラリーマンについて何の知識もないまま入社すると、周囲は年上の男性ばかり。女性はごく少数でした。ドラマに出てくるようなカッコいい「おじさま」なんかひとりもいなくて、生活感溢れる「おじさん」ばっかり。会社は仕事をする場所だとばかり思っていたのですが、実際に入ってみると全然そうじゃなかった。

 おじさんたちが仕事中に爪を切るのはごく当たり前で、足の爪を切れば、見たくない毛ずねが見える。デスクでいきなり立ち上がり、ベルトを外し、ファスナーを下ろしてワイシャツを入れ直し、チャックを閉めてベルトを締めて座る……。社員旅行に行けば、浴衣がはだけ、お酒を飲めば私たちに「女の幸せは結婚だぞ!」と説教、ふと気がつけばネクタイの柄は梅にうぐいす。

©iStock.com

 会社は不思議なところでした。いつのまにか、私は仕事よりも、むしろおじさんの行動や生態に詳しくなっていたのです。