昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

竜の未来を担う男・石川昂弥はいかにして育ったか? 東邦高校前監督に聞く

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/07/14

 未来を担う石川昂弥。東邦高校で選抜優勝。3球団競合の末、ドラフト1位で中日に入団。プロ初打席でいきなり二塁打、恵まれた体格、類まれな長打力、大胆なビッグマウス。竜党に夢を与えるスラッガーはいかにして育ったのか。高校3年間を見守った森田泰弘前監督に聞いた。

 森田氏は1959年生まれの61歳。東邦高校から駒澤大学、本田技研鈴鹿(現Honda鈴鹿)でプレー。高3夏は全国準優勝。1983年から母校のコーチを務め、2004年に監督就任。今年4月、勇退し、現在は東邦高校と愛知東邦大学の野球部総監督だ。

「半田市に素晴らしい選手がいるという噂はありました。小学校ではドラゴンズジュニア、中学校では知多ボーイズの中心選手で全国にも知られる存在でした。入学当時から背が高く、下半身もがっちりしていました。ただ、上半身はペチャンコだったんです」と笑う。

 しかし、打撃センスは光っていた。

「最初のフリーバッティングから大学、社会人クラスの打球でした。10人ほどですが、今までも練習で130mくらい飛ばす選手はいました。でも、みんな力いっぱい振るんです。昂弥のようにバットをしならせて、力感なく飛ばせる選手はいませんでした。球をとらえる力、飛ばす力は一番です」

 他校に石川昂に近い逸材はいたのか。

「清原(和博)君。彼が高3の夏に岐阜で招待試合があり、PL学園と県立岐阜商業と東邦で試合をしたんです。PLと県岐商の試合を見た時、まずはファーストの守備に驚きました。バントをダッシュして捕って、素早くサードへ送球。身のこなしが柔らかい。そして、打席では全く力みがないんです。打球はピンポン玉でしたね。あっという間に外野の頭を越えました。動きの軽やかさ、力感のないスイングは共通していると思います」

 さらにもう1人。

「大阪桐蔭の中村(剛也・西武)君です。彼は本当に軽く振っているように見えました。でも、飛距離はとんでもない。私は似ていると思います」

ドラフト1位ルーキーの石川昂弥

「あの昂弥が東邦に行くなら、甲子園に出られる」

 石川昂は高校通算55本塁打。その中で記憶に残る一発を聞いた。

「たくさんありますよ。刈谷球場で場外ホームランを打って、民家のガラスを割ったこともあったし、1年秋の東海大会準決勝の三重高校戦で右中間に放り込んだのも凄かった。でも、一番は2年秋の東海大会の岐阜第一戦で右中間へ打ったホームラン。高倉(明健・大阪経済大学)君という好投手からでした。同じ腕の振りで145キロ前後のストレートとフォーク、カットを投げる。昂弥が『手元まで真っ直ぐか変化球か分かりません』と漏らしたほどです」

 森田氏によると、石川昂が対戦し、舌を巻いた投手は3年間で2人。そのうちの1人が高倉だった。

「優勝した選抜の直前も高倉君と練習試合をしたんです。ヒットはあまり打てませんでしたが、お陰で選手達の目が肥えました」

 入学当時は上半身に厚みがなかった石川昂だったが、日に日に逞しくなった。森田氏が経営する焼肉店の3階に石川昂など3選手が下宿しており、食育を徹底したのだ。

「昂弥は食が細かったんです。ただ、好き嫌いはなかったので、出されたものは全部食べました。また、食後にトレーニングができるように店の車庫を改装して、ウエイトルームも作りました」

 さらに心も大人になっていく。

「もともと性格はマイペースで、はしゃがず、ドンと黙って座っているタイプ。でも、やがてプロ野球選手として多くの人に愛されるには発言力も大切だし、面倒なことを率先して行う姿勢も必要。もっと人間として成長して欲しかったので、キャプテンに指名しました。また、『あの昂弥が東邦に行くなら、甲子園に出られる』という理由で進学した選手も多く、彼が精神的な柱になることはチームにとってもプラスだったんです」