自分を政治から遠ざけた北朝鮮社会へのレジスタンス
金正日総書記と高英姫氏との間にできた金正哲、金正恩、金与正の三兄妹のうち、「与正氏が最も聡明で知的である」という評判だった。
現在、600万台以上が流通している北朝鮮の携帯電話だが、金正日総書記は普及に消極的だった。04年4月、平安北道龍川郡にある鉄道平義線(京義線)龍川駅付近で、金正日総書記の暗殺を狙った可能性も取りざたされた爆発事故が起きた。金正日総書記は事故後、携帯電話の普及事業をいったん停止させたこともある。コンピューターに精通し、海外の情報に明るい金与正氏は、慎重な父親に対して、情報化社会が北朝鮮の発展に貢献するという事実を論理的に説明し、説得したという。
09年初め、金正日総書記は自身の後継者として金正恩氏を指名した。その際、与正氏は「自分も政治の世界に身を置きたい」と訴えたという。同席した金正日総書記の実妹、金敬姫氏は正恩氏の後継に難色を示すと同時に、封建社会の空気が色濃く残る北朝鮮社会で与正氏が政治に参加することに反対した。やはり、男尊女卑の考えが強かった金正日総書記も、金与正氏が表舞台に出ることを許さなかった。現在でも、北朝鮮の市場で働く人に女性が圧倒的に多いのは、党の職場や企業所など公式の場所では男性が働くのが当たり前だという風潮の結果でもある。
与正氏は、自分の能力に自信があっただけに悔しい思いをしたようだ。前面に出たがるのも、北朝鮮社会へのレジスタンスかもしれない。南北関係筋によれば、北朝鮮当局者は与正氏の能力について「常に1から10まで綿密に検討してから行動に移る。だから、国内の政策で失敗したことがほとんどない」と語った。金正日総書記の死後、正恩氏は与正氏を頼った。与正氏は水を得た魚のように働き出したというわけだ。
与正氏がここまで信頼される2つの理由
正恩氏が与正氏を頼るのは2つの理由がある。ひとつは孤独だった兄妹に生まれた強い愛情だ。兄妹は金正日総書記の別荘で一般社会と隔離されて育った。祖父、金日成主席とも面会したことはない。金日成主席が金正日総書記と高英姫氏との結婚を認めなかったからだ。そして与正氏は兄思いの女性だった。金正日総書記の晩年、金正哲氏と金正恩氏が女性連れで、平壌中心部にある高麗ホテルを何度も利用した。醜聞を恐れた金正日総書記は激怒したが、正恩氏は更に反発して行動を改めなかった。険悪になった親子関係の間に入って、仲裁したのが与正氏だったという。
そして、もうひとつは金正恩氏に信頼できる部下がいないという現実だ。正恩氏は権力継承から8年以上経った今も、頻繁に党や軍の人事を行っている。例えば、軍総参謀長の場合、現職の朴正天氏で7人目にあたる。1人あたりの平均在任期間は1年ちょっとでしかない。10年近く務めるのが当たり前だった金正日総書記時代とは大きな違いだ。