“親愛なる指導者”である父・金正日の死亡により、最高指導者としての地位を実質上継承した金正恩。就任以来、彼は数多くの弾道ミサイル発射実験、核兵器実験を行い、世界を騒がせ続けている。兄・金正男暗殺への関与疑惑や、本人の死亡・重体説など、国際ニュースで彼の話題を目にしない日の方が珍しいとすらいえるだろう。
『金正恩の実像 世界を翻弄する独裁者』(扶桑社)は、特異な行動を繰り返し、世界中から耳目を集めようとする男の知られざる出自・思想に迫った1冊だ。合計100時間以上にも及ぶ関係者への取材を通じて浮かび上がった、独裁者の知られざる実像について引用し、紹介する。
子ども時代、彼はどのような環境で、何を考え、世界で最も恐ろしい独裁者の1人として育っていったのだろうか。
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少年時代には飛行機に熱中した
金正恩は少年時代、あらゆる機械に強い興味をもち、特に飛行機と船の模型に熱中していた。そして、飛行機がどうやって飛ぶのか、船がどうやって浮かぶのかを知りたがった。まだ平壌にいた8歳か9歳の頃でさえ、彼は深夜まで自作の機械であれこれ実験し、自力で理解できないことがあれば専門家たちに質問すると言い張った。真夜中の日付が変わった時間帯でもおかまいなしだったそうだ。高英淑(*1)によれば、疑問が湧いたり機械がうまく動かなかったりしたら、どんなに夜遅かろうが海洋工学の専門家を呼び出して説明させていたという。
*1 金正恩の叔母
高英淑は、この習慣に金正恩という人間の2つの側面を見ている。彼は、驚異的な集中力のもち主である反面、1つの考えにはまり込み、行きすぎる傾向があった。「強迫」という言葉こそ使わなかったものの、彼女が話してくれた金正恩の特徴はここに当てはまる。実際、のちにベルンで一緒に暮らしていた頃、彼はいつも叔母夫婦におもちゃ屋の模型飛行機をねだり、熱狂的な愛好家たちが自作の飛行機を飛ばしに集まる公園に連れて行くようせがんだ。その執着心は大人になるまで長く続いた。
金正恩自身、最高指導者になる前にこの傾向を認めていたようだ。彼はある当局者に対し、子どもの頃に屋敷の裏に滑走路をつくり、おもちゃの飛行機で遊んだ話をした。北朝鮮の出版物によれば、当局者はこの逸話のことを、金正恩が指導者として類まれな資質をもつ新たな証拠と考えたそうだ(*2)。
*2 Anecdotes of Kim Jong Un's Life(Pyongyang: Foreign Languages Publishing House, 2017)より
宇宙で1番特別な子どもという自覚
のちにパイロットとなり北朝鮮の空を飛び回るようになったことも、元山にある夏の別荘の近くに着陸できるよう、飛行場を新設したことも、少年時代に飛行機に熱中していたことを考えれば納得できる。最近では、諜報機関の分析官たちが北朝鮮によるミサイル発射の兆候を衛星写真で探すとき、金正恩の個人飛行機が近くの飛行場にあるかどうかがチェック項目に入っている。
金正恩が少年から青年へと成長した時期は、北朝鮮全土を飢饉が襲った時期と重なった。しかし、「偉大な継承者」に物資の欠乏が及ぶことは一切なかったし、彼が同胞の苦しみを目の当たりにすることもなかったはずだ。その代わり、彼はすべてが自分中心に回る世界で育った。藤本のように自ら指名した友人がいただけでなく、教師やコーチ、料理人、身辺警護員、運転手も抱えていた。
彼は自分が宇宙で1番特別な子どもであるかのように感じながら育った。のちに「自立」を奉じる身でありながら、実際は使用人や取り巻き、家庭教師たちに頼りきりだった。