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転入してきた頃は乱暴だった

 しかし、ほかの生徒たちは、転入してきた頃の金正恩は乱暴だったと記憶している。うまくコミュニケーションがとれなかったせいだ。スイスでは公の場で高地ドイツ語が使われる。当時のクラスメートたちが語っているように、学校の授業は高地ドイツ語で行われたが、家族や友人との会話はスイスドイツ語だった。スイスドイツ語は言語学的には1つの方言にすぎないのだが、外から来た者にはオランダ語くらい違う言葉に聞こえる。金正恩はこれにストレスを感じ、言葉がわからないことに腹を立てていた。あるクラスメートは「彼は私のすねを蹴ったんです。つばを吐きかけられることさえありました」と語っている(*7)。

*7 Kim Jung-un mochte Nike Air-Turnschuhe, aber keine M~dchen, Berner Zeitung, October 6, 2010.より

©iStock.com

ストリートファッションで固めた学生時代

 クラスメートたちによると、コミュニケーションの問題以外にも、金正恩は奇妙なよそ者と見られがちだった。特に大きな理由は、彼がいつもジャージを着て、世界の10代のユニフォームと化していたジーンズを履かなかったことだ。だが北朝鮮では、ジーンズは唾棄すべき資本主義者の象徴とされている。

 あるクラスメートの記憶によれば、金正恩は当時、サイドに3本線が入ったアディダスのジャージを着て、ナイキのバスケットシューズ「エア・ジョーダン」の最新モデルを履いていた。金正恩と放課後によくバスケットボールをしていた別のクラスメート、ニコラ・コバチェビッチは、ほかの生徒からすればエア・ジョーダンは夢のスニーカーだったと言い、当時のスイスでは200ドル以上したのではないかと語っている(*8)。

*8 Higgins, Who Will Succeed.より

 金正恩のドイツ語は進級するうちに上達し、どうにか授業についていけるようになった。すねを蹴られ、つばを吐きかけられたと語った女性も、彼は時間とともに周囲と打ち解け、前より社交的になったと認めている。

 それでも、金正恩は内向的なままだった。ミカエロは、混み入った考えにドイツ語が追いつかず、それを自分のなかにとどめがちだったと説明している(*9)。ケーニッツ市の教育当局によれば、彼は7年生、8年生へと進級し、9年生の途中までこの学校に通っていた。成績は決してよくなかった。また、よく学校を休んだことも間違いなくマイナスに働いたはずだ。1年目の欠席日数は75日で、2年目にはこれが105日に増えている。(*10)

*9 オーデナルの未公開インタビューによる。

*10 金正恩が高校でしていたバスケットボールの試合に関するシモン・ルツトフの証言は、Titus Plattner, Daniel Glaus, and Julian Schmidli, In Buglen und Kochen eine 4, Sonntags Zeitung, April1, 2012より。

金正恩の実像 世界を翻弄する独裁者

アンナ・ファイフィールド ,高取 芳彦 ,廣幡 晴菜

扶桑社

2020年4月30日 発売

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