勉強が苦手な生徒のグループに
10代の金正恩が学校で何を学んだのかをもっと詳しく知るため、私はバスに乗ってケーニッツに行き、市役所を訪ねた。市教育長のマリサ・ビフィアンが、1990年代の教育課程をとじ込んだ大きな白いバインダーを出してくれた。
科目を見ると、ドイツ語、数学、理科、保健、外国語、音楽、美術、体育といったありふれたものもあれば、世界の宗教と文化を教える「私たちを取り巻く世界」というものもあった。生徒への評価は年齢ではなく能力に基づいていた。ビフィアンによれば、学校側は進級に対して慎重で、下の学年で習う内容が十分に身につくよう、1年留年させる傾向があるという。
金正恩は「受け入れ学級」での準備を終えると、通常課程の6年生に入った。
ポルトガル移民の息子で、当時14歳だったジュアン・ミカエロは、アジア系の少年が6年A組の教室に入ってきたときのことをよく覚えていた。少年はジャージ姿で、ナイキの靴を履いていたそうだ。クラスには22人の生徒がいた。全員が着席していたところに、転入生の金正恩が連れられてきて、北朝鮮外交官の息子、パク・ウンと紹介された。ミカエロの隣の席が空いていたので、正恩はそこに座った。その後、彼は短く「ウン」と呼ばれるようになる。
少年時代の友人は金正恩をどう見ていたのか
2人はすぐに親しくなり、仲を深めていった。席が近かっただけでなく、どちらもあまり成績がよくなかったからだ。6年生のクラスは2つに分かれていて、金正恩とミカエロは勉強が苦手な生徒のグループに入れられた(*5)。教師に指名されて教室の前で問題に答えるとき、金正恩は恥ずかしい思いをしていた。たとえ答えがわかっても、うまく話せなかったのだ。そういうわけで、ミカエロが正恩のドイツ語の宿題を手伝い、正恩がミカエロの数学を手伝うようになった。
*5Mira Mayrhofer and Gunther M~ ller, Nordkorea: Kim Jong-un Wird aufdie Macht~ bernahme Vorbereitet, Profil(Austria), September 21, 2010.より
ミカエロの記憶にある金正恩は、静かではあったが決断力に優れ、考えを明確に主張することができた。ミカエロは「彼は野心的でしたが、攻撃的でありませんでした」と語っている(*6)。
*6 スイスのジャーナリスト、ベルナルド・オーデナルの未公開インタビューによる。