記者たちが学校に殺到した
2009年、金正恩が父親の後継者になるというニュースが飛び交うと、未来の独裁者について知りたがる記者たちが学校に殺到した。彼を受けもっていた教師たちに話を聞こうとしたのだ。
7月には、日本の新聞記者が廊下に貼られていた金正恩のクラスの写真を撮影し、紙面に掲載した。その後、クラス写真は壁から剥がされて人目につかない保管場所に移され、敷地への記者の立ち入りは禁止された。
この写真はいまもインターネット上にある。校庭の木の下で撮ったものだ。生徒たちの服装はシャンブレーのシャツに大きめのトレーナーといった具合で、どれも1990年代らしい。金正恩は後列の中央にいる。グレーとブラックの生地に赤いラインの入ったジャージを着ていて、袖には大きな赤色の文字で「NIKE」と書かれている。カメラを見つめる顔には笑みがない。
一方、同じ時期に撮られた別の写真には、笑顔の彼が写っている。黒いTシャツを着てシルバーのネックレスをした姿は、典型的な10代の少年だ。さらに別の写真では、うっすら口ひげが生え、頬ににきびができているのがわかる。
学校は記者を排除しようとしたが、あまりに関心が大きかったため、当局が教室で記者会見を開いた。リーベフェルトを所管するケーニッツ市の教育長、ウエリ・ステューダーは、1998年8月から2000年秋まで北朝鮮出身の男子生徒が通っていたことを認めた。また、この生徒は大使館員の息子として入学したと説明したうえで、他国の外交官の子どもが入学することは珍しくなかったと述べた。
ステューダーは「その生徒は学校にうまく馴染んでいて、勤勉で、高い目標をもっているとみられていた」と説明を続けた。さらに、「趣味はバスケットボールだった」とも述べている。声明文では、これ以上のコメントはしないという最後の1文が太字で強調されていた。学校は今日に至るまで、細かな補足を除いて追加の説明をしていない。
教師たちが少年の両親に会うことはなかった。当時の校長、ピーター・ブッリによれば、夜に父母会を開くと、そのときごとに違う北朝鮮人が現れ、少年の両親がドイツ語を話せないため代理で出席すると言って謝罪したという(*4)。
*4 Andrew Higgins, Who Will Succeed Kim Jong Il~ Washington Post, July 16, 2009.より
リーベフェルトの公立学校に入学した金正恩は、ドイツ語を話せない生徒を対象とする「受け入れ学級」で最初の数か月を過ごした。授業はドイツ語だったが、教師はゆっくり、シンプルな言葉で話してくれた。
当時、全校生徒の約4分の1がスイス以外の国民だったため、学校側は言葉を話せないまま入ってくる子どもに慣れていた。また、金正恩は学校以外でも家庭教師からドイツ語を習っていた。