困った金正恩氏は、逆にこれまで日が当たらなかった女性まで動員している。李雪主氏と結婚する以前、親密な関係も噂された玄松月氏は党副部長、「なぞの通訳」として有名だった崔善姫氏は、金正日総書記時代は副局長止まりだったが、今では第1外務次官に昇進した。玄氏も崔氏も党中央委員だ。数少ない肉親は、正恩氏にとって頼りになる存在だ。
連絡事務所爆破によって示された金与正氏の権威と地位
今、金正恩氏の健康状態は芳しいものではない。しかも、人材が足りない。とても党、軍、政府の3つをすべて仕切るだけの余裕がない。与正氏は現在、党の最重要部署である組織指導部第1副部長とされ、党務全般の前さばきを行っているようだ。与正氏は13日に発表した南北共同連絡事務所の爆破を示唆する談話のなかで、「金委員長と党と国家から付与された私の権限を行使して、対敵活動の関連部署に次の段階の行動を決行するよう指示した」と説明。党が政府や軍を指導する金正恩体制にあって、要の位置を占めていることを自ら明らかにした。
今回、金与正氏を前面に立てたのは、南北間の緊張局面という機会を利用し、金与正氏の権威と地位を引き上げ、確固たるものにする狙いが込められていたようだ。北朝鮮がいったん、韓国に対する挑発行動を停止した背景には、こうした最低限の目標が達成されたとの判断もあるとみられる。
では、なぜ金与正氏は、冒頭で説明したような口汚い言葉を使ったのだろうか。
「金正恩氏の名誉を傷つけられた全力で相手を非難」という掟
集団主義の北朝鮮には、個人の人格はない。体制があるだけだ。局面局面で、国家にとって必要な態度を示すことが求められる。金与正氏は18年の訪韓時、随行したボディガードらに優しい言葉をかける場面も目撃されている。最高尊厳である金正恩氏の名誉を傷つけられた場合、北朝鮮の人々は全力で相手を非難しなければならない。その掟を金与正氏は実行したに過ぎない。
そして、その与正氏を補佐しているのが、かつて韓国側から「毒蛇」の異名で恐れられた金英哲党副委員長だ。かつて南北軍事協議の際、故事成語を使った韓国代表に対し、「韓国人なのに中国語が好きなのか」と毒づいたことがある。30分も40分も延々と主張を続け、それを笑った韓国側出席者に「謝れ。そうでなければ出て行け。でなければ、これ以上の会談を拒否する」とすごんだ。18年の米朝協議の際、訪朝したポンペオ米国務長官に携帯を投げつけ、「今からこれでトランプ米大統領に電話しろ」と言い放ったこともある。おそらく、与正氏の激しい言葉は、金英哲氏らの指南の結果だろう。
金与正氏は確かに有力な後継候補ではあるが、後継指名は依然受けていない。部下の殺戮もいとわない金正恩氏が、後継指名をすれば権力が自分から離れるという冷酷な事実を知らないわけがないからだ。今の金与正氏は、他の人々と同様、北朝鮮という独裁国家を支えるひとつの駒でしかない。