私は彼らに圧倒され言われるがまま財布から運転免許証を取り出して見せると、5人の警官は私の運転免許証を回して確認して困ったように笑うと「君が紛らわしい風貌をしてるから」と言いながら免許を返し言葉を失って動けなくなった私から逃げるように足早にその場を去っていった。
家に帰ると私は悔しくて泣きながら強い酒をあおった。そして私はもはや国も人間性も失い自殺衝動だけがリアルに感じられた。強い酒を飲みながら、「もしも次に職務質問を受けたらその警官を殺そう」と決意した。「いや殺人を犯す前に自殺しよう」。頭の中でいろんな人格の声が鳴り続けていた。
病気とアルコールの影響で私は正気を失っていた。しかし不思議なことにその件があって以来、警官と行きちがっても誰一人として私に職務質問をすることはなくなった。
思えば私は日本社会を生きる「在留証明書」を持っていないのかもしれない。日本生まれ日本育ちで日本語しか話せなくともこの社会に自分の居場所はないと感じ、日本人であるという自負は感じられない。これが私の現実である。
ジョージ・フロイド氏が殺されると、今度は道行く人々に見られる回数が格段と増え、コロナ騒動が勃発した時とは打って変わって私をじっと見つめ、悲しげに力なく笑い小さくうなずいて励ますようにして通り過ぎる人が多々あった。私は子供の頃からよく自分がわからなくなった。
(私は誰だっけ? 死んだんだっけ? ああ日本に生まれた黒人ハーフか)
日本人にとって私は黒人の投影的存在なわけだ。すると私は日本人の黒人に対する窓口であるような滑稽な、しかし私にとっては現実的実感を持ったイメージを抱かずにはいられない。
大坂さんや八村さんを叩く人は、幻想に陶酔したいのではないか
現在ブラック・ライヴズ・マター運動(以下、BLM)への支持を表明しているテニス選手の大坂なおみさんやバスケットボール選手の八村塁さんに対し、SNS上で反発する声があがっている。
大坂さんや、八村さんのような好青年がなぜあんなに叩かれているのか不思議でならなかったが、ある一つの考察をしてみると、きっと彼らを叩くようなタイプの人々は日本には差別はなく、文化的にも歴史的にも経済的にも完全に近く優れた国家であるという幻想に陶酔しているのではないか?
そこで彼らがBLMを叫ぶことによって「まるで日本に差別があるみたいじゃないか」という感情を抱かせ自らの抱く日本の良い面だけのイメージを壊し、見たくない部分に目を向けさせられる元凶として無意識的に嫌悪感を抱き攻撃してしまっているのではないだろうか?