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2020/07/05

 コロナ騒動の最中にデモに参加したりデモを推奨するなど言語道断という意見も多くあるようだが、そう訴える方々はもしも自分や自分の親や子、愛する身近な人々がいつ差別主義者の放った凶弾に倒れるともわからない社会に暮らしていたとしても同じ意見になったか今一度考えてみていただきたい。  

 それはフェミニズムやLGBT、障がい者等の差別にも言える事で、相手が誰であろうとたとえ考えが違ったとしても自分がもしも当事者だったらどうだろうか?とみんなが想像をすること自体に大変な意味があり、それは最も人間的な精神生活であり、それが達成された暁には世界の諸問題の大半が解決してしまうのではないだろうか。

日本社会は混血児を社会の片隅に隔離してきた

 戦後長きにわたり日本社会や日本のメディアは混血児を芸能界やスポーツ界に押し込めることによって社会の片隅に隔離してきたように思う。  

 その尾をまだひきずっているというのが私の実感である。なぜなら初対面の人は大概私を見て「スポーツは何をやってたの?」「いや何も」と言うと「もったいない」と言われるやり取りを幾度となく繰り返してきた。品のない人になると「股間が大きくてセックスが強いんだろ?」とか「薬の売人だったんだろう?」などと平気で言う。 

檀廬影さん(本人提供)

 一言で言ってしまえば生まれながらにカタギではないわけだ。昭和時代、いつか誰かが「ハーフと在日は芸能人になるかスポーツ選手になるかヤクザになるしかない」と言ったという記事をどこかで読んだことがあるが、これは極端な言い方だとしても実際にそれくらい苛酷であったと想像するに難くない。  

 ほとんどの日本人は自らを単一民族と信じて疑わない。これは当然学校で詳しく教えないからであり、一言に日本人といっても大陸から渡った人もあり南方からも北方からも入り乱れ実際には多民族の混血であると、子供の頃からそういったことをよく教育し、感覚を教えていかなければ、日本人はいつまでたっても本当の意味での多様性ということを理解し知覚できないんじゃないだろうか。  

 もはや誰が良い悪いなどという問題ではなく、事なかれ主義や臭いものに蓋をして村八分にする日本古来より続く悪癖は次世代の日本人や日本文化の発展の為に捨てなければならない。  

 しかし私は日本の文化や土地や勤勉な日本人が好きである。私という人間はあるいは失敗作かもしれないが、私が好きな日本がより美しい国になることを願ってやまない。  

僕という容れ物 (立東舎)

檀 廬影

立東舎

2019年4月19日 発売

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