『捨てられないTシャツ』(都築響一 著)
好きな人が着ているTシャツは格好良く見えるし、嫌いな奴が着ているTシャツはダサく見える。プリントや柄、色もサイズも質感も、それを着る人の前ではただの言い訳だ。
汚れや染みだってそう。恋人とデートの帰りに寄った飲食店で付けた物は思い出になるのに、家で一人寂しくすするカップラーメンの汁は絶対に許せない。
誰かと言い争いをしている時、怒りを押し殺して睨みつける相手は大抵Tシャツで、そんな時に限ってTシャツには、「DEAR MY FRIEND」なんて書いてあるから、なんだか馬鹿らしくなって少しだけ相手を許せたりする。
Tシャツはうるさい。Tシャツは聞いてもいないのに余計な事をベラベラと話す。お陰でその人をわかったような気になってしまうから面倒だ。ただの布切れが、その人の取扱説明書のように思えてくる。
たとえば、近所のスーパーから出てきた中年女性が着ているおどろおどろしいパンクバンドのTシャツ。今はもう離れて暮らす息子が学生時代に着ていたそのTシャツを、箪笥の中から引っ張り出して着てみた。特に意味はない。ただ、あの子が夢中で追いかけていた物の匂いがする。
正確には我が家の洗濯物の柔軟剤の匂いなんだけど、それと混ざり合った息子が見ていた景色の匂いがする。こんなおばさんが着るTシャツではない。そんなことはわかっている。だからこそ着てきた。
Tシャツは本当にうるさい。これがシャツだったら話は違う。それは、ひとつずつ留めていくボタンの影響だろう。
私は余計な事を話しません。お客様のプライバシーはしっかり守ります。ただただ、衣服としての役割を全うします。と言った風に、しっかり口を閉ざしている。
だから、信頼は出来るけれど仲良くはなれない。
昔からそうだったけれど、すぐ人を好きになって、すぐ人を嫌いになる。人を好きになるのは簡単だけど、人を好きでいるのは難しい。そして、人を嫌いになるのは、易しくて虚しい。
だったら最初から何も無ければ、無地であれば気になる事もない。プリントや柄、色もサイズも質感も、煩わしさが一切無い無地のTシャツ。汚れも目立たないように、黒にしてしまえばいい。
そう思ってもやめられない。誰とも口を利かないなんて、悲しいし虚しい。誰かを知りたいし、自分を知って欲しい。「もしかしてそのTシャツ……」から始まる何かを信じてしまう。
シャツに空いた穴は致命傷なのに、Tシャツに空いた穴はアクセサリーになる不思議。
なぜ―――?
32歳男性 ミュージシャン 東京都出身