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遺書には被害者への謝罪はなく……

 遺体が発見された10日にソウル特別市による「ソウル特別市葬」が始まった。ソウル市庁前とオンライン上には市民が参加できる焼香所が準備され、13日までに合わせて100万人以上が献花したと伝えられた。市庁前で献花を済ませた人の中には肩を震わせ嗚咽したり、泣き叫ぶ人の姿も報じられた。

 自筆の遺書は公館の卓上で発見され、公開された。そこには、家族や知人へ感謝の言葉が綴られていたが、元秘書からの告訴については触れられていなかった。この遺書を巡り、イ・ミギョン韓国性暴力相談所所長は、「すべての方々に申し訳ないと書いているが、被害者への謝罪の言葉はない」(中央日報7月13日)と指摘した。 

 一方、青瓦台(大統領府)の国民請願の掲示板にも10日、「朴元淳氏の五日葬、ソウル特別市葬にすることを反対します」というスレッドが立ち上がった。

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「性疑惑で自殺した有力政治家の華やかな五日葬を国民が見守らなければいけないのか」、「国民にどんなメッセージを伝えたいのか」、「静かに家族葬で執り行うのが正しいと考える」とするそのスレッドにはその日のうちに20万人近い賛成が集まり、13日までにおよそ57万人が署名している。 

 また、SNSでは、「朴元淳市長を告発した被害者に連帯します」というハッシュタグが広がり、「韓国性暴力相談所」や「韓国女性のための電話」などの女性団体も、「被害者に連帯する」という声明をだしている。 

故朴元淳市長の「ソウル特別市葬」の様子 ©getty

韓国社会で「セクハラは犯罪」と知らしめた裁判を担当

 故朴市長は、韓国では、進歩派を象徴するひとりといわれ、「脱権威、平等の象徴」(韓国日報7月11日)、「革新家、ソーシャルデザイナー」(ハンギョレ新聞、同)などと形容された。2011年に市長に初当選する前は人権弁護士や市民活動家として名を馳せた。 

 対日では、人権弁護士として慰安婦問題を争点とした「女性国際戦犯法廷」(2000年)には韓国側の検事役として参加し、ソウル市長になった後も日本への戦争責任について言及し続けた。 

 文在寅大統領とは司法試験合格同期で、文大統領は釜山で、故朴市長はソウルで人権弁護士として共に活動した間柄だ。 

 故朴市長の名を最初に知らしめたのは、93年、ソウル大学教授のセクハラ事件で原告側の弁護を無料で引き受けた裁判だった。これはソウル大学教授が助手の学生にセクハラ行為を行ったとされた事件で、教授には500万ウォン(約48万円)の罰金が科せられた。この時から韓国社会で「セクハラは犯罪」という認識が広まったといわれている。 

 94年には、権力を監視する目的で作られた市民団体「参与連帯」の設立に関わり、2000年には、不正などの疑いのある国会議員を落選させる運動を主導し、「有権者の新しい在り方を示した」(前出記者)と評価された。その後も「希望製作所」など市民活動の主流となる団体を立ち上げている。 

 2011年、ソウル市長補欠選挙に立候補し、政界に転身を図る。市長選では当初は5%の支持率しかなかったが、当時絶大な人気を誇り、出馬が噂された安哲秀・国民の党代表(当時ソウル大学融合科学技術大学院長)が自ら候補者の座を譲ると、野党候補者として保守派のナ・ギョンウォン議員を破り、初当選。