〈昨日若い記者のインタビューがあり、あえて意地悪な言い方をしますが角幡さんの探検は社会の役に立ってないのでは、との質問を受け絶句した〉。探検家・角幡唯介さんのこのツイートが反響を呼び、「社会の役に立つ」ことと、夢や仕事、生き方にまつわる様々な意見が寄せられました。約2カ月にわたるグリーンランド北部の犬橇(いぬぞり)行から、6月に帰国したばかりの角幡さんに話を聞きました。

角幡唯介さん ©榎本麻美/文藝春秋

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「えっ、そういう角度で読まれるんだ」

――7月7日、角幡さんがある取材を受けた時の話をツイートすると、次々に意見が集まってきて、ちょっとした「社会の役に立つべきか」論争が起きていました。誰にでも接点を見出せる、普遍的な「ひとこと言いたい」話題だったのかなと思います。

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角幡 みんな苛立ちや矛盾を感じているということなんでしょうね。ただ、あんなに大騒ぎになると思っていなかったので、記者の人にはちょっと申し訳なかったなと(苦笑)。先日、フォローのメールをしました。取材を非難する意図はなくて、純粋に自分の知らない世間の価値観にふれたこと自体が面白いなと思ってツイートしたので。

 

――あのツイートの意図やきっかけは、何だったんでしょうか。

角幡 ある地方紙の取材だったんですよ。小さい頃の思い出を話しながら、なぜ今の自分があるのか、というようなテーマでした。それで最後のほうに、「ちょっと意地悪な言い方をあえてしますけど、角幡さんの探検や本は社会の役に立ってないんじゃないかと言われることはありませんか?」と聞かれたんですよ。

――わりと唐突に、ポンと。

角幡 そうですね。前後の話は忘れてしまいましたけど、「えっ、そういう角度で読まれるんだ」とすごく驚きました。だって、僕の本なんてどこからどう読んだって明らかに社会の役に立たないじゃないですか。

――いやいや(笑)。

角幡 そのことは大前提で、社会の役に立つとか立たないとか、そういう話の外側で生きることに意味があるんじゃないの? という問いかけを僕の本の中ではしてきたわけです。裏のメッセージとして。だって僕がやってきたこと、たとえばチベットのヤル・ツアンポー峡谷の空白部や、日中でも太陽が沈んだ状態が続く北極圏の「極夜」を単独探検する……これらの旅が、直接社会の役に立たないというのは明らかですから、あえてその視点で読む人がいることを想定していなかった。これほど明らかに役に立たない本でさえ、その視点から回収されてしまうのかと、びっくりしたんです。

©榎本麻美/文藝春秋

――角幡さんは〈探検や冒険は脱システム、つまり行動による批評なので、社会に迎合的な視点をもってしまった時点でそれは批評ではありえず、もう存在意義がないんじゃないかと思ってます。〉ともツイートしていましたよね。

角幡 はい。取材で見えないところからフックが飛んできて、けっこういいところに入ってマウスピースが飛んじゃった、みたいな(笑)。その時は、質問に対してうまくアドリブ的な返答ができなかったんですよね。