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 新幹線の方は実に立派で、屋根の上に時計塔まで設えられている。コンコースの入り口はアーチ状のおしゃれな駅だ。在来線側は小さいけれどこちらもどことなく神殿風というか、大階段を登るようにして入り口に向かう。その階段の下には小さな円形のステージのようなものがある。とにかく、全体的におしゃれな雰囲気なのだ。いったいどうしてこんなデザインなのか。その答えのヒントが、在来線の駅に向かう階段の横にあった。「デンパーク」という安城市立公園の看板である。

新幹線駅は屋根の上の時計台がトレードマークだ
こちらが在来線の三河安城駅。どことなく神殿風で大階段を登るようにして入り口に向かう

「日本のデンマーク」と呼ばれた理由

 デンパークは、デンマークをもじったもの。三河安城とデンマークはどういう関係があるのか。それには三河安城駅がある安城市の歴史が深く関係している。

安城市立公園「デンパーク」の看板。三河安城とデンマークどういう関係があるのだろうか?

 江戸時代まで、安城市一帯は台地上の安城ヶ原と呼ばれる水に乏しい原野だった。徳川将軍家の祖である松平氏が本拠をおいたこともある安祥城周辺には小さな集落ができていたようだが、それは三河安城駅からはだいぶ離れた名鉄南安城駅の近くだ(安祥城は徳川最古参の安祥譜代の発祥の地でもある)。それ以外は一面の原野。変化のきっかけは、水に恵まれない安城ヶ原に矢作川から取水した農業用水(明治用水)が整備されたこと。これをきっかけに、安城市一帯は先進農業都市へと変貌を遂げた。1891年には安城駅も開業。安城の都市としての中心地も安城駅周辺に広がってゆく。

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 今でこそ、安城市は名古屋郊外のベッドタウンとしての住宅地やトヨタ自動車関連の工場が建ち並ぶ都市だが、一昔前までは日本でも有数の農業都市だったのである(主な作物は米や梨など)。そこでヨーロッパの農業先進国だったデンマークにちなんで「日本のデンマーク」と呼ばれるようになった。そんな「日本のデンマーク」にある新幹線駅ということで、駅舎はデンマークの農家をモチーフにしたデザインになったのだという。

デンマーク化のきっかけとなった明治用水。一部が三河安城駅前のこの公園の地下を流れているという

 つまり、なんとなくおしゃれな雰囲気の三河安城駅舎はデンマーク風だったのである。デンマーク化のきっかけとなった明治用水は今でも現役で、一部が三河安城駅前のこの公園の地下を流れている。ナゾが深まるばかりだったおしゃれな駅舎と駅前の広い公園は、安城という町の歴史にしっかりと根ざした由緒あるものだったのである。やはりどんな駅にも物語があるものだ。