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「自分はなんて駄目なんだろう」 三浦春馬さんが語っていた“劣等感”と“将来像”

2020/07/21
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「きれいな言葉を抱えてしまうと、駄目な部分や悪い部分を見せたくないと思ってしまう」

 僕はこの時、2日間にわたった取材を次のような質問で締めくくった。

――昨日、今日と話をうかがってきて、三浦さんはすごく端正な生き方をされているように思いました。でも人間だから、当然みっともない一面もありますよね?

 すると、彼は言った。

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「自分でハードルを上げているような気がしますね、最近生きていて(笑)。いろいろな方にそうやっていい言葉をいただくと本当に思う。何でしょうね……見栄っ張りではないと思うんですけど。別に知ったかぶりでもないし、知ったかぶりはやめたし。だけどそういったきれいな言葉を抱えてしまうと、本当に駄目な部分や悪い部分を見せたくないと思ってしまうんです。それがよくないんですよね。それが人間だともちろん思うし、ちゃんとガス抜きしていかないとなって。折に触れてお酒を飲んで、弾けて(笑)」

©文藝春秋

 この頃、彼は空き時間を利用して英語の勉強に取りくんでいた。2017年にイギリスに短期留学して以降、海外作品に出演する機会が訪れた時のために備えておかなければと思うようになったからだ。「でも全然伸びないんですよね、英語」彼は少し照れくさそうに話していた。

 彼がなぜあのような決断をしてしまったのかわからないし、ここに書いたことは僕が目の当たりにしたごく断片的な事実でしかない。けれども確かに、2018年11月の彼は将来の自分像を思い描き、みずからの人生を正直に生きようとしていた。

「自分はなんて駄目なんだろう」 三浦春馬さんが語っていた“劣等感”と“将来像”

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