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僕の野球人生“最後のボス”阪神・矢野監督から突然届いた深夜のLINE

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/07/29

 2週連続の登場になりました! と言うのも、前回はジャンクSPORTSに出演させていただいた際の浜田雅功さんのお話を急遽、書かせてもらったのですが、本当は違うテーマに決めていたんです。

 僕にとって、この方との出会いは、本当にプロ野球人生の“最後の全力疾走”の原動力になりました。矢野燿大監督は、僕が脳腫瘍の闘病を終えてチームに戻ってきていた18年に2軍監督を務められていて、2軍の本拠地・鳴尾浜でも、いろいろなタイミングで声をかけてもらいました。

「横田、もう少しで試合に出れるから頑張れよ」

 当時、試合には全く出られなかったのですが、ベンチ入りはさせてもらっていました。自分にできることは声を出すことだと思って、プレーしている選手にずっと声をかけたりしていたんですが、監督が何度も“横田は良い声出してるな”と言ってくれて。グラウンドには立てなかったですけど、そんな言葉が僕にとってはすごく大きくて。チームの一員になれていると感じましたし、試合に入っている感覚になれました。闘病を経て、なかなか、大きなステップが踏めない中で、自分にとってはすごく励みになりました。

 その年のある日、練習でシートバッティングがあって、僕は視力の不安があったので打席には立てないんです。それでも、キャッチャーの後ろでバット持って、ピッチャーが投げるタイミングに合わせて1球、1球スイングしていました。そこに監督が歩み寄ってきて“横田、もう少しで試合に出れるから頑張れよ”と肩を叩いてくれました。その時、初めて自分の中でも試合に出れるんだと実感が湧いてきて。練習に対する姿勢も変わりましたし、前を向いて練習できるようになったのを覚えてます。気持ちが折れそうな時にもう一回、練習に力を入れられたと思いますし、試合出場を目指して頑張っている最中だったので、できるんだというのを感じることができました。今思えば、あの言葉も、最後の引退試合でのプレーにつながったかもしれないです。

 昨年の引退試合の後、セレモニーで監督から花束を渡してもらい“きょうは横田に素晴らしいところを見せてもらったから次は俺らが見せるから見とけよ”と耳打ちされました。そこから1軍は1度も負けずに6連勝でシーズンをフィニッシュして逆転でクライマックスシリーズに進出しました。僕のおかげとかは全く思わないですけど、監督やチームに少しだけでも貢献できたのならこれ以上、嬉しいことはないです。

引退試合で矢野監督から花束を受け取った横田