「エイリアン」の創造主は誰なのだろう?
他のフランチャイズも同じだ。『ターミネーター』は、フランチャイズ復活のために、権利が戻って来たキャメロンが辣腕をふるうだろうし、『ブレードランナー2049』は、リドリー・スコットを製作総指揮として、いわば「総料理長」に迎えている。あるいは、『エイリアン』フランチャイズは、いったん『エイリアン5』から降りたニール・ブロムカンプの再登板もあるかもしれない。
そこでは、クリエイターの才能は消費財のように扱われる。成功する者もいれば、失敗して去る者もいるのは、昔から変わらない光景だが、クリエイターを交換可能な部品のように扱う傾向には拍車がかかっている。
ユニバースには、エイリアンが分泌する強烈な酸のような毒が潜んでいる。様々な人の体内に宿って変態し、生き延びる「エイリアン」は、ハリウッドのエンタテインメント映画そのものだ。
「エイリアン」の創造主は誰なのだろう?
『エイリアン:コヴェナント』は有限な生命(被造物)である一人のクリエイターが、無限を志向するユニバースに投じた疑問符だとも言える。
しかし、観客の一人でもある私は、「エイリアン」という料理をこよなく愛している故に、新メニューにそのようなものは求めていない。店の看板に何が書かれているか、看板の所有者が誰かは、実はどうでもいい。さらに言えば、料理人が誰かも二の次だ。馴染みの名店に入って楽しみたいのは、やはり味やサービスなのだ。エイリアンという素材を使って、どんな料理が供されるのか、それを楽しみに映画館に足を運ぶ。1作目が体験させてくれた恐怖、2作目が見せてくれたアクション。あの衝撃を、新しい料理を、また味わいたいのだ。
観客は看板ではなく、類い稀なセンスで素材を引き立て、味わったことのない料理を作ってくれる料理人がいる店に足を運ぶ。映画(エイリアン)との契約(コヴェナント)とはそういうものであるはずだ。
我々は料理を食べに行くのである。店は料理を供するために、素材を調達したり、食べる環境やサービスを提供する場所だ。ユニバースは、クリエイターが迷うことなくその才能と腕をふるうための場所であるべきではないだろうか。
『エイリアン:コヴェナント』は、図らずもそんな疑問を我々に提示した。
クリエイターがクリエイターとして作品を創造できる、真のユニバースの創造主こそが必要なのだ。
エイリアン:コヴェナント
9月15日 全国公開
配給:20世紀フォックス映画