きっかけはローズのTシャツで作った布マスク
コロナ禍によって世間からマスクが消えた今年の3月下旬。洋裁の得意な母親の道代さんが、家にある古着をリメイクして布マスクにする試みをしていた。「竜太も何か作りたいものがあればいいなさい」。そんな声に松山さんが提出したのは、着古しすぎたために、特別席やイベント時の装飾にも使えなくなっていたR・ローズの色褪せたTシャツ。優勝の時の記念として購入し、その後も、22年間大事に大事に着てきたが、この辺で第二の人生を歩んでもらおうと、再生工場送りを決めた。
ただ、この完成したローズ布マスクが想像以上に素晴らしいできとなった。松山さんはうれしくなってベイファン仲間に見せるべく、写真をFacebookに掲載した。すると、投稿をシェアした友人のベイスターズファンから別のベイファンへとつながり、いつしかローズ本人の下へたどり着いていた。
「素晴らしい。可能であれば譲ってくれないか?」とローズからメッセージが来たのは4月9日。ボストン生まれの帰国子女とはいえ、英語は「カモン」「ローズ」「ビクトリー」「ハッスル」「ボビー」「GOGOGO」ぐらいの日常会話しかできない松山さんは、必死になって英語辞書を見ながら返信を書いた。
「本人から欲しいと言われたら、よろこんで送りますよ。ただ、あのTシャツは優勝時からずっと僕が着続けてボロボロになった布です。20年間の、よろこびも悲しみも怨念も染み込んだそんな汚い布でいいんですか?と聞いたら、ローズさんは『それでいい』と言ってくれた。なので、背番号『23』の部分をリメイクしたマスクを送りました。ROSEのネームの部分はやっぱり僕が使いたいですから(笑)」
忘れかけていた頃、店に届いた郵便物
その後、ぱたりと音信が途絶え、マスクのことも忘れかけていた5月中旬。ボストンコモンに郵便物が届いた。差出人は、サウスキャロライナのローズさんから。慌てて荷物を開けると、そこにはローズからお礼のサインボールと直筆のサイン入りベースボールカード。母親の道代さんには、白い絵皿。そして、手紙と一緒に松山さんのマスクを装着してポーズをとるローズの写真が入っていた。
色褪せた「23」のマスクを誇らしげにつけるローズの写真を見て、松山さんはどうしようもなく胸を打たれた。1998年の優勝の思い出を大事に大事にしてきた自分と同じように、ローズもあの年の優勝を人生の大事な思い出として今も持っていてくれたこと。ファンが20年着古したボロボロの布を「素晴らしい」と喜んでくれたこと。そんなことを考えると、20年の月日を越えて、関西の地でひとり応援してきた思いが伝わったかのような、とてつもなく幸せな気持ちになった。
「今はコロナでいろいろと大変だが、このコロナが明けたら神奈川に住む娘の家族に会いに日本へ行く。その時にぜひお店にも遊びにいかせてほしい」
その後、ローズからそんなメッセージをもらったが、松山さんは「栗東は遠いですからね……」と謙遜しつつ笑顔が止まらない。
今もまだコロナの影響で外食業界は厳しい状態が続いている。だが、この苦しい時間が明ければ、あの古いTシャツがお伽話さながら本人に姿を変えてこの店にやってくるかもしれない。カモン・ローズ・ビクトリー。松山さんは、そんな歌を呪文のように口ずさみながら、“新・ローズシート”で彼を迎える準備を進めている。
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