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「私が話すと、みんな聞いてくれるだろう?」祖父が教えてくれた“下駄を履かせる”本当の意味

「下駄を履かせる」という表現がある。

 社会では本人の意思に関係なく、その人が持つ“ラベル”によって、まわりからの評価が高くなることもあるのだ。

 たとえば“男性”というラベルを持つが故に、“女性”というラベルを持つ人と同じ成果を上げても、高く評価されることがある。履かされた下駄の分だけ立派に見えてしまう、という感じだ。

 逆に、「“女性なのに”男性と同じ成果を上げてすごい」などと言われることもある。「女性なのに…」「男性だから…」などの“ラベル”というものは厄介で、出てきた成果そのものをただまっすぐに評価することは、人間にとって容易いことではない。学歴や見た目、国籍や性別なんかに対するイメージがモヤのように目の前にかかって、成果だけを見つめることを邪魔するのだ。そんな自分が持つ偏見(目の前にかかったモヤ)を自覚するというのは、なかなか難しい。

 さらに言えば、“下駄を履かされている方”が「あ~今、自分は下駄を履かされているなあ~」なんて気づくのは、もっと難しいかもしれない。

 だって、自分が自分の実力で評価されたと思っていたことが、実は実力だけではなく、自分がたまたま持つ“ラベル”によって作られた下駄のおかげで、「それを履いていたからこその結果だった!」だなんて、信じたくないじゃないですか。絶対つらい。もし人の下駄に気づいても「それあんた下駄履いてるからですよ!」だなんて、相当言いにくい。だって、みんながんばってるんだもの。

 それでも「なんとか自分の下駄は見えている人間でありたいな~」と考えていたときに、自分のものすごく近くに、しかも90歳を目前に控えた祖父からこんなことを言われて、神かと思った話を漫画にした。