その関係を知ったうえで美智子さまの御歌を読むと、思いの深さに胸をうたれます。
子に告げぬ哀しみもあらむを柞葉(ははそは)の母清(すが)やかに老い給ひけり
戦時下という、厳しい世の中の有為転変のなかで、黙って哀しみに耐えるお母さまの姿を見て育たれたこと。それもまた、美智子さまが、皇室という慣れない環境のなかで、ご自分を役立てる道を、沈黙のなかでゆっくりと、見出すことに繋がったのでしょう。
皇后さまといえば、ピアノ演奏など音楽への造詣の深さ、そして和歌や、まど・みちおさんの詩のご翻訳、ご講演をされたIBBY(国際児童図書評議会)など児童文学への支援が思い浮かびます。ですから長年、どちらかといえば文化の方面に関心がおありなのだと思っていました。
ところが実は、科学にも一方ならぬ関心をもたれ、知られざる支援をされています。
自然への関心から女性科学者をご支援
「私は野育ちだから」とよく笑って話される皇后さま。古希のお誕生日のおことばでも「子ども時代は本当によく戸外で遊び、少女時代というより少年時代に近い日々を過ごしました」とあるように、よく庭や野原で遊び、3歳上のお兄さまや、夏の避暑地で一緒に過ごす年上のおいとこさんたちをまねて、昆虫採集をし、たくさんの虫の名前を習ったそうです。
戦後の夏の軽井沢では、母・富美子さんが口にする花の名前をおぼえ、父・英三郎さんの書棚で見つけた科学者・寺田寅彦の随筆を愛読されてきました。
そうした自然への関心を、生物学者である陛下とのご結婚によって、のびのびと広げられた皇后さまは、ご著書の印税の寄付先の一つに「女性科学者」を選ばれています。
今でこそ「リケジョ」ブームですが、ずっと早くから、日本の女性科学者、リケジョたちを励ましてこられたことに驚きました。
ご寄付については地球科学者の猿橋勝子さんに相談されました。猿橋さんは戦後日本の女性科学者のパイオニアであり、「猿橋賞」を設けて後進を励ましてこられた方です。そこで皇后さまの基金をもとに、受賞者の業績を海外に伝える “MY LIFE—Twenty Japanese Women Scientists”という20人の女性科学者のライフヒストリーを紹介した本が、2001年に出版されたのです。