ご懐妊中の二人の妃殿下に
「よく来てくれたのね」「よく来てくれてありがとう」—万感が込められたこの言葉。母になられる妃殿下方に、皇后さまはいつも、ご自身の記憶を重ねておられるのではないでしょうか。
「東宮妃の出産間近く」という詞書きのあるこの御歌もそうです。
いとしくも母となる身の籠(こも)れるを初凩(はつこがらし)のゆふべは思ふ
愛子さまご誕生が伝えられると、皇后さまは少し涙ぐまれ、「両殿下にお祝いをお伝えください。東宮妃は元気でしょうか」と気遣われました。
紀子さまが悠仁さまのご懐妊中に、部分前置胎盤ということを電話でご報告なさったときのことを、「昔だったら命にかかわるようなことでしたのに、秋篠宮妃はなんだか、のんびりとした感じで報せてきて……」と、いとおしそうに、少しおかしそうに話されたと、長年ご親交のある編集者、末盛千枝子さんが振り返っています。
皇后さまの時代は、非常に恐れられていた前置胎盤。最初は驚かれた皇后さまも、医師の説明に安堵されるとともに、事態を平静に受け止め、周囲の空気を乱すまいとなさる紀子さまの健気さを嬉しくお思いになったのでしょう。
御歌からも、そのお気持ちが感じ取れます。
初(うひ)にして身ごもるごとき面輪(おもわ)にて胎動をいふ月の窓辺(まどべ)に
私はこの時期、皇后さまは、ご自分の異常妊娠の記憶に思いを馳せておられたのではないかと思わずにはいられません。周知のように、皇太子さまご誕生のあと、皇后さまは胞状奇胎という病で第2子を失いました。
しかも予後調査のため2年間の懐妊を禁じられ、その状況は国民には知らせていなかったため、専門の産婦人科医までが、妃殿下はもう二度とお子をもつことはできない、と発言するお辛い日々があったことが、紀宮清子内親王著『ひと日を重ねて』に記されています。
その頃のことを思い合せ、きっとひたすらに、紀子さまと新宮さまの無事を祈っていらしたと思います。