1ページ目から読む
3/5ページ目

悪いことした議員やその家族も新しい人生をスタート

――ドミノから約4年経って、それを映画化することに多少のためらいがあったと砂沢さんはパンフレットに書いていますよね。

砂沢 悪いことした議員やその家族も新しい人生をスタートしている。それから不正の周りには、表に出られないほど弱い立場になってしまった協力者もいます。ですので、映画化することで、もう一回問題を蒸し返すことに消極的な時もありました。でも、あらためて問いかけることで議会も市民の生活も良い方向に向かうのであればと。そう、自分に言い聞かせています。

「富山市議会自由民主党」宛ての領収書

五百旗頭 あれだけの政治スキャンダルに発展したのに、結局その後、富山市議会はほとんど変わっていないんです。そして僕らメディアもさらなる追及や問題提起をしていない。映画化しようと思ったのは、そういう忸怩たる思いによるものもあります。

ADVERTISEMENT

「富山市議会だけで起きていることだ」と思わせないためのスパイス

――変わらないといえば2021年まで富山市長を務めるという森雅志市長。「それは制度論だから」という、お得意のフレーズとともに何度も出てきて印象的ですよね。

五百旗頭 市長は完全にスパイスの一つです(笑)。

――スパイス!

五百旗頭 「ここで起きていることは富山市議会だけで起きていることだ」と思わせないためのスパイス。あの「制度論だから」って何かに似ていると思いませんか? 菅官房長官の東京新聞・望月記者への塩対応で出てくる「それは批判には当たりません」。あのコミュニケーション遮断の話法に通じるところがあるような気がしているんです。

砂沢 僕の個人的な評価ですけど、森市長は行政マンとしてはすごく優秀で、したたか。制度論と言っているのはその通りで、市議会で起きた不正のことなんだから、市政のトップである自分にコメントを聞くのは筋違いだろと。「関係ないよね」と言い続けるわけです。それは建前としてはそうなんですけど、しかし富山市民の感覚としてはおかしいと思わざるを得ない。そのズレが映画を観てくださる方に伝わればいいなと思っています。

――「だが、しかし……」の感覚ですね。

五百旗頭 ああいう心の通わない政治家と記者のやり取りって、新聞だと何の記事にもならないんです。ところがテレビだと、やり取り自体にインパクトが出てくる。

 

――文字化できないところを素材にできる強さというか。

五百旗頭 そうなんです。文字化できなければ権力側は勝ちだと思っているかもしれないけれど、塩対応を重ねて見せれば、市長がどういう人かよく見えてくる。塩対応は、おいしいんですよ(笑)。

――映像の強さで言うと、数々の議員直撃取材のシーンで光るのがカメラワークでした。タヌキ似の議員を玄関で追及するところで、ちゃんとそこにあるタヌキの置物を大写しにしたり。

砂沢 手前味噌になりますが、カメラマンがとにかく優秀なんです。こちらは証拠と突き合わせて取材しているので、カメラに指示出せる状況ではなくて。なので、カメラマンが阿吽の呼吸でいい表情を撮ってくれたり、タヌキをアップで撮っておいてくれたり(笑)。

 

五百旗頭 取材では予想外のことが常に起きますけど、そのハプニング的な面白さはカメラマンが撮っておいてくれる、という信頼関係がありました。やっぱり、ドキュメンタリーって予期せぬことが起こって、それを編集で繋いでいくから面白いんだと思います。2016年にテレビでこの問題を取り上げたときも『はりぼて』というタイトルだったんですが、ラストシーンの議員との対峙で「はりぼて」という言葉を無理やり質問に入れて着地させようとやってみたんです。これが取材から帰ってきて見てみると、つまんなくて(笑)。仕込むと面白くないんですよね、ドキュメンタリーって。