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「富山市議14人ドミノ辞職」スクープから4年…映画化で波紋「富山ではどこで」「正直やめてほしい」

『はりぼて』監督 五百旗頭幸男さん、砂沢智史さんインタビュー

「就職氷河期で」「アナウンサーに不向き」から報道を目指した2人

――ところでお二人は、最初からテレビでの報道を目指していたんですか?

砂沢 僕らは2003年入社の同期なんですけど、僕はというと最初は公務員になろうとしていたんです。時代は就職氷河期。で、全部落ちてしまったところでチューリップテレビを見ていたらCMで採用告知していた。それで応募したという単純な理由です。業界もそんなに調べずに受けたので、営業希望で入って、入社12年目で初めて報道に配属されました。

資料を読み込む砂沢さん(左)

五百旗頭 僕は学生時代からアナウンサーになりたかったんです。それで東京から順番に受けて、チューリップテレビに受かり、ずっとやりたかったスポーツ実況なんかもやらせてもらいました。でも、無機質なカメラに向かって笑顔を作れないんですよ、僕。それでアナウンサーには向いてないなって悟ってですね。それから取材や番組作りの方にのめり込んでいったんです。

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――作品はお二人が共同監督ですが、同期としてお互いをどんなふうに見ていますか。

五百旗頭 最初は砂沢のこと大っ嫌いだったんです(笑)。「俺は五百旗頭には負けたくないんだ」とか飲みの席でわざわざ言ってくる。めんどくさい奴だなというのを時間をかけて理解して、今では表裏のない奴だなって思ってます。基本、淡々としているんですけど、そのストレートさが、えげつないほどの取材力に繋がっているんですよね。

砂沢 ありがたいですね(笑)。僕は営業が長くて、相手に対して頭を下げる、怒らせちゃいけないというところで育ってきた。なので、記者に必要な思い切りの良さみたいなところを彼から学びましたね。五百旗頭は僕にとって記者の見本みたいな存在でしたから。

――そんな五百旗頭さんがチューリップテレビを退職する場面も、映画には出てきます。どうして会社を辞めたんですか?

五百旗頭 そうですね……、僕の中で変えることができなかった信念があって、そのわがままを貫いた結果なんですよね。この映画に関して会社からの圧力があったとか、自民党から圧力がかかったとか、そんなことは一切ないです。どんな組織ジャーナリズムにでもあると思いますが、自分個人の制作者としての考えと、経営、他の部署との妥協をはかれなかった。今、言えるとすればそこまでなんです。

記者会見で質問する五百旗頭さん

取材チームの主要メンバー13人は、3人が退職・3人が異動

――政務活動費不正取材チームの主要メンバー13人のうち、3人が退職され、3人が異動されているそうですね。砂沢さんも現在は社長室兼メディア戦略室。

砂沢 離れた理由はみんな様々で、取材チームの半数が現場を離れていることになるんですが、当然その分だけ新しい力が現在の市政担当チームに入っています。あの時の報道のスタンスが今も受け継がれていることは、映画の中でも描いているつもりです。

チューリップテレビ報道制作局

――あえて伺いますが、五百旗頭さんの退職シーンはどうして入れたんでしょうか。

五百旗頭 取材を始めてから4年が経とうとしていますが、結局僕らは何かを変えたんだろうかという思いが常にあったんです。議会は変わったか。そして、自分たちがいる報道の世界は変わったかと。突き詰めていうと、それが先ほど言った組織ジャーナリズムの中にいる葛藤ということになるのかもしれません。誰だって「はりぼて」の中にいるということを、自分自身の弱さを見せることで示したかったんです。