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松田優作をはじめ、当時の若手俳優の目標だった

 復帰後、映画を離れ、倉本聰と石原プロの共同企画『大都会 闘いの日々』(76)に主演、活躍の場をテレビに移す。番組は人気になりシリーズ化。『西部警察』(79~84)と共に代表作となる。『大都会』シリーズ関係者は語る。

「渡さんを尊敬する松田優作が『大都会PARTⅡ』に出た。優作が主演映画もある中、過密スケジュールにめげずに毎週出演したのはひとえに渡さんと共演できるという喜びのおかげ」

 松田をはじめ、当時の若手俳優の目標は渡哲也だった。渡には俳優として多様な可能性が開けていたはずだ。先述の西河克己はこう語る。

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「ダーティハリーやジェイムズ・ボンドを観ればわかるけど、ヒーロー役を演(や)り続けるのは単調で、役者としては演技の幅を広げたくなるはず。渡君は『浮浪(はぐれ)雲』(78・倉本聰脚本)での人間味が真骨頂。なのに映画主演は長くやらず、石原プロの一員、スターとして『大都会』や『西部警察』に絞ってストイックな刑事を演じ続けた。終生、寅次郎を演じてみせた渥美清と同様でなかなか出来ることではない。渡君の人間的凄味を感じます」

「石原さんが太陽なら、彼は月です」

 テレビでの成功を勝ち得た78年から10年、裕次郎も繰り返し病に襲われるが、この間、静かなる男を演じ続ける渡が、裕次郎に代わって石原プロを支え続けた。

 87年7月17日、裕次郎が他界。渡は社長に就任する。その後、91年に患った直腸癌と闘いつつ、2011年まで社を率いていく。そして17年3月14日には愛弟・渡瀬恒彦を喪い、7月に裕次郎没後30年を迎えた。

石原裕次郎の命日に集まった石原軍団のメンバー

 渡は裕次郎に憧れて俳優になり、没後は社業の重責を引き継いだ。思えば俳優としての可能性を犠牲にしてきたのではないか。この考えに対して「そりゃ違うよ」と言った人がいる。今年2月に他界した鈴木清順監督である。

「僕はいまこそ『東京流れ者』の続編を撮りたい。渡君は役名通り〈不死鳥の哲〉です。石原さんが太陽なら、彼は月です。月は満ち欠けを繰り返しながら、昼は白く空に浮かび、夜には輝く。決して己を曲げない、それが渡哲也という役者なんです」