昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

ハイカットのスパイクを履いたスピードスター 智辯和歌山・細川凌平が抱く“高卒プロ”の夢

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/09/01

 違和感。他の選手と明らかに何かが違う。なめるように上から下へ視線をやると、その答えがあった。一人だけハイカットのスパイクを履いた1年生。走塁への意識の高さが伺える足元は物心がついたときから阪神タイガースの選手になるために走り続けてきたものだった。出会って2年強。彼は幼少期に描いた人生のビジョンを、圧倒的な意識の高さで現実にしてきた。私は数か月後、漫画の世界をリアルに見ることになりそうだ。

 一昨日まで甲子園で開催されたプロ志望高校生合同練習会。コロナ禍でプロのスカウトが高校生の試合を視察する機会が少なくなったことの救済措置として初めて行われた。プロ志望届を提出した高校生がスカウト陣の前でアピールする絶好の機会。今週末には東京ドームでも行われるが、名前は……まだない。というよりも、彼の場合はこの練習会に参加せずとも既にスカウトの目に留まっているのだ。

 2017年。根尾昂(中日)や藤原恭大(ロッテ)らの大阪桐蔭が注目される中、私のスコアブックに大きな殴り書きがあった。

 “細川凌平 京都東山ボーイズ 足が速い”

 翌年に智辯和歌山に入学予定のものすごい中学生がいると聞き、したためていたのだ。期待通り1年春から背番号をもらうと、夏には聖地のグラウンドも踏みしめた。そう、黒いハイカットのスパイクで。足元に引き寄せられるように、甲子園球場のインタビュールームで細川に声をかけた。

3年間一度も休むことなく磨いた“武器”

「そのスパイク、もしかしてワールドウィングのもの?」

「はい! 知ってるんですか?」

 イチロー氏や山本昌氏らが現役時代に鳥取まで通っていたことで知られるワールドウィング。初動負荷理論に基づいたトレーニングを受けられる施設で、現役のプロ野球選手も多く訪れる。その初動負荷理論と脳や神経、筋肉の協調性を高めることを目的に開発されたものが、細川が身に着けていたビモロというスパイクだった。

 中学の時、「土日のボーイズの練習以外も野球にいかせる時間にしたい」と学校の部活動では陸上部に所属。その時の顧問が薦めてくれたのがビモロのランニングシューズ。父と約束した“高卒プロ”という夢を叶えるため、3年間一度も休むことなく脚力を磨いた。「体が大きくなくても足があれば」。50メートル5.8秒という今の最大の武器はプロ野球選手になるために1秒も無駄にすることなく取り組んで生まれた賜物だった。

 凌平が一度だけ大泣きしたことがある。京都の観光地・嵯峨嵐山で生まれ育ち実家は約110年続く売店船を営んでいる。京都府亀岡市から京都市嵐山まで下る保津川下りの遊船の隣にピタッと船をつけて団子やおでんなどを販売。父・佳介さんは終日船に乗りっぱなしで、凌平の運動会や野球の試合に駆け付けることはほとんどできなかった。それでも大切にしていたのが風呂の時間だ。

「中学生になるときに親の当番とかも行けない仕事をしているんで、東山ボーイズには入れられないと考えていたんです。そしたら『自分でなんでもするから! いっぱいご飯も食べるから!』って大泣きして頼んできてね」

 厳しい練習下に身を置きたいと湯船の中で大号泣。「やるからには何でも一番に」と口にしてきた佳介さんも息子を信じて東山ボーイズに送り出した。「大事な決断はなんでも風呂でしたね」。3年生の時にはボーイズ日本代表で世界大会優勝。背中を流しながら何度も確認しあった“高卒プロ”の夢に着実に近づいて行った。