この芳裕氏の次女がフジテレビの三田友梨佳アナウンサーであり、女子アナの中でも“本物のお嬢様”として知られるが、銀座コリドー街と三田家の関係はあまり知られていない。
戦後の高速道路建設により生まれた“利権”
戦後、財界人の間で、銀座を囲っていた割堀(水路)の上に高速道路を建設する計画が持ち上がった。
「公有地を特定の財界人に提供することに国会でも都議会でも批判が出ました。当初は高速道路の上に1キロに渡る壁のようなビルを建てる計画だったため、万里の長城になぞらえて“利権の長城”と呼ばれたほどでした。しかし反対の声はかき消され、道路が建設され、後に首都高速と接続されたのです」(当時を知る地元関係者)
計画は若干変更され、銀座を囲うようにコの字型に2キロの自動車道を敷設、その高架下に西銀座デパート(現・NISHIGINZA)、銀座ナイン、銀座コリドー街など14の商業ビルが建てられた。
財界人23人が設立した東京高速道路(株)は、道路の建設とその後の維持管理を続ける一方、商業ビルの多くは、地元の有力者がそれぞれテナント管理会社を設立して管理することになった。
“利権”と呼ばれるのは、有力者による管理が引き継がれ、世襲も進んでいるためだ。
「銀座コリドーが発展したのは三田家の貢献」
銀座コリドー街を管理しているのが三田家。正確に言えば、銀座コリドー街の皇居側に続く山下ビルのテナント群だ。
「昭和40年代、銀座コリドーは電通が事務所や倉庫として使用していましたが、契約を解除することになり、東京高速道路の役員が親しかった明治座の先代(三田政吉氏)に声をかけ、先代が管理することになったのです」(同)
政吉氏は三田家の個人会社で管理することにして、後に(株)銀座コリドーに社名変更した。この個人会社も芳裕氏に引き継がれている。
「事務所や倉庫として使われていたところに、政吉氏が飲食店を入れて人の往来が増えるまでに相当の時間がかかりましたが、現在は34店舗が入っています。銀座コリドーが発展したのは三田家の貢献でしょう」(同)
「一流のサラリーマンに会える場所」
銀座コリドー街がナンパ・スポットになったのは、婚活中の女性に向けて「一流のサラリーマンに会える場所」としてテレビで取り上げられたことも影響しているという。
しかし大企業の多くは今も夜の会食を禁じているため、今はテレビの喧伝とは異なっていると見られる。
コリドーはフランス語で「回廊」を意味する。命名通りに人の往来は増えたが、先代の三田政吉氏もここまで変貌するとは想像していなかっただろう。