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藤浪、大谷と並び“高校BIG3”と呼ばれた濱田達郎がいま思うこと

文春野球コラム ペナントレース2020

 2012年のセンバツで「高校BIG3」と称された男たちが1軍の舞台に帰ってきた。阪神・藤浪晋太郎、中日・濱田達郎、かつては甲子園を沸かせた逸材もここ数年は苦しんでいた。 

 特に濱田達は度重なる故障に悩まされていた。愛工大名電では1年秋から主戦投手として2年秋には明治神宮大会で準優勝し、3年時に春夏連続で甲子園出場を果たした。そして、12年のドラフト2位で中日に入団。14年5月7日の阪神戦でプロ初先発し初完封を果たしたが、左肘故障に伴い長いリハビリ生活を強いられた。16年には3度もの手術を経験。1軍復帰どころか、支配下に戻れるのかも不安視された。それでも復活へ向けて努力を続け、昨年オフに支配下復帰した。

「高校BIG3」と称された濱田達、藤浪、大谷 ©スポーツニッポン

プロ入り後も崩れなかった高校時代の“土台”

 高校3年間同じ教室で過ごしてきた筆者にとってはうれしい復帰だった。優しい性格の中にも決して折れない芯の強さは濱田達の強みだ。普段はおっとりしているが、試合になればスイッチが入る。勝手ながらオンとオフの切り替えがうまい選手だと思っている。教室では朝食を食堂で食べた直後にも関わらず、近くの弁当屋のからあげ&ちくわ天を食べ、間食にはいもけんぴを食べていた。相撲部だった私も驚いた大食漢。12年のセンバツに出場の際にはユニホーム型のキーホルダーをプレゼントしてくれるなど、気遣いもできる男だった。 

 ドラフト指名直後にはサインをどうするか一緒に考えたこともあった。ノートに何個か候補を書いて、熟考していたのが懐かしい。勉学でも一生懸命な姿勢が見られた。3年最後の定期テスト直前はすでに寮に入寮していたため、テスト範囲が分からない状況だった。テスト関連の資料をクラスメートに頼んで、寮まで持ってきてもらい、必死にペンを走らせて勉強するなど、文武両道を貫いた。

 高校時代の“土台”はプロ入り後も崩れることはなかった。14年以降は再三ケガに泣かされてきたが、故障期間も前向きだった。後輩には同じ辛さを味わってほしくないという思いもあり、積極的に助言も送った。「自分と同じ状態の選手がいたら、ケガの段階に合わせた調整法を伝えたり、ここら辺りが張ってきたりしたらトレーナーさんとかに見てもらいなよ、と声をかけたり、相談に乗ったりして出来ることはやっている」。リハビリを並行しながら、周囲にも目を配り、自らの経験をムダにせず歩んできた。