親心とか球界活性化とか、無理に美談にする必要はない。ロッテは澤村が欲しかった。巨人にとって澤村はどうしても必要というわけではなかった。おそらくそれだけのことだ。だからこそ、「欲しい」に即座に応えた澤村のピッチングは見事だった。

 巨人からロッテに電撃移籍した澤村は8日の日本ハム戦の1点リードという大事な場面で登板。捕手の田村がファウルフライを落球してもあわてず、気合満点の投球で3者連続の空振り三振を奪った。ジャイアンツ球場での退団挨拶からオンライン入団会見と続いた怒涛の一日を見事にハッピーエンドにしてみせたのだ。

 実績があるとはいえ、つい先日まで3軍調整していた澤村。緊迫した局面でいきなり使うことは井口監督にとっても大きなリスクだったはずだ。だが、もし首尾よく抑えれば澤村が自信と誇りを取り戻すきっかけになる。さらに、チームとしてあなたにこれだけ期待しているし、これぐらいはやってくれると思っていますよ、というメッセージにもなる。そして、ロッテと澤村はその賭けに勝った。やはり、信じて任せればそれに応える力を持った男なのである。

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8日の日本ハム戦、3者連続三振に抑えて雄たけびを上げる澤村拓一 ©共同通信社

澤村ほどチームの勝利を優先するタイプはいない

 正直に言って澤村をタダ同然(もちろん、交換要員でやってきた香月が今後ブレイクする可能性も十分あるが、それはまた別の問題だ)で放出するほど巨人にピッチャーが余っているとは思えない。それでも出したということはそれなりの事情や理由があるのだろう。10年前、相思相愛で結ばれたはずの巨人と澤村だが、ここ数年はすきま風が吹いていたことも事実だ。首脳陣と澤村、球団と澤村というだけでなく、ファンとの間でもそれに近い空気があったことは否めない。自業自得と言えるような私生活の問題も、トレーナーによる鍼治療トラブルなど不運としか言えないような出来事もあった。ただ、同時に巨人という球団を取り巻く環境の犠牲になったような印象もある。

 一般に地方の球団はファンも地元マスコミも温かい。もちろん批判することもあるが、基本的には「おらが町のチーム」をみんなで応援して盛り上げようという気風がある。だが、巨人と阪神だけは違う。ファンにもメディアにも少々キツめの「ツッコミ目線」が絶えずあるのだ。

 少し古い話になってしまって恐縮だが、新井貴浩さんがまだ阪神でサードを守っていたころ、甲子園球場で三塁へのファウルフライが上がるたびに、ファンから謎の歓声が上がるのに驚いたことがある。どう形容していいのか難しいところなのだが「新井や! また落とすんちゃうやろな」とでもいうような、ある種の期待とも不安ともとれないような微妙な空気が一気に球場を包むのだ。ファンが味方選手にプレッシャーをかけてどうするというか「これはやりづらいだろうな」と思った記憶がある。

 一方、巨人は巨人で普通の2軍落ちが大ニュースになったり、ベンチでちょっと小言を言われたことが「公開説教」として報じられたり、といったことは選手にとってはどうしてもストレスになるだろう。この2チームはいつもスケープゴートを必要としていて、近年その犠牲になってきたのが藤浪晋太郎であり、澤村であったという気がする。

 希望も込めて言えば、今回の移籍で澤村はまず間違いなく復活すると思う。一つめの理由は、彼にふさわしい期待とポジションを与えられる可能性が高いこと。元々、澤村ほどチームの勝利を優先するタイプはいない。

 あるとき、ヤクルト戦に先発した澤村は7回1失点のピッチングを見せたものの、チームは負けてしまったことがあった。神宮球場でビジターチームを取材する場合、ファウルグラウンドを通って三塁側クラブハウスにはけていく動線が唯一の取材機会になる。たまたま澤村と1対1になった僕が「先発としての役割は十分に果たしたと思いますが」と尋ねると「いや、全然だめでしょう。先発の役割は味方が点を取るまでゼロに抑えることですから」と返ってきた。

 通常こういった「負け投手コメント」はある種のお約束というかテンプレート的なものであり、澤村の言葉もその範囲を逸脱するようなものではないのだが、あまりにも本気の形相で言うので、二の句が継げなかった思い出がある。澤村にとってチームが勝つことがすべて。忠誠心が強い選手だけに、近年、特に今季の自分の存在意義を疑われているような立場はつらかったはずだ。