昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

“BCリーグの希望”ソフトバンク・渡邉雄大が一軍登板を果たすまでに歩んできた道

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/09/20

「1年勝負です」

 彼が入団する時、本人だけでなく、BCリーグの関係者も口にしていたタイムリミットは1年でした。通常、育成選手の契約期間は「3年」が一つの目安と言われています。当然、状況や成績に応じてその期間は長短しますが、お先不安定な契約であることはご承知の通りです。

 2017年育成ドラフト6位指名。独立リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(BC)から26歳でホークスに入団した渡邉雄大投手にとっては、その「3年」などあってないようなものでした。

独立リーグ時代の渡邉雄大投手 ©新潟アルビレックスBC

3年目で支配下登録を勝ち取った苦労人

 夢にときめくというよりは、時間に追われる日々。育成選手ながら“育成される”というより“見極められる”。常にそんな立場でした。当時、3軍投手コーチを務めていた入来祐作さんは「何とかしようという思いをヒシヒシと感じた。こちらも何とかしてあげたいと思える姿だった」と振り返ります。

 黙々と練習に取り組む姿は今も昔も同じ。「勝負の1年目」から、着実に結果を残していきました。3軍から2軍に昇格すると、ウエスタン・リーグで14試合に登板し、防御率は1.42。奪三振率は12.79。自らタイムリミットのボタンを止めるような成績を残し、球団に「化ける」可能性を印象づけました。

 支配下登録のタイミングは、実力以外にもチーム戦力やその時の状況など様々な事情が絡みます。140番の3桁の背番号からなかなか卒業できませんでしたが、ホークスは渡邉投手に確かな希望を見出していました。

 そして今年、3年目のシーズンを迎えました。

「僕の中では運よく『3年目』をもらえたと思っています。歳も若くない中で残れたということは、少しでも可能性を感じてもらっているんだよと周りから言われました。もらったからには……」

 そう決意を強くした今季、3月にはオープン戦ながら“1軍初登板”という貴重な経験をしました。小川2軍監督は「1年目から可能性を見せてくれた。だから、2、3年目と契約されたんだよ」と自身がスカウト部長の時に新潟まで見に行き、プロでの活躍を思い描いた選手の奮闘に目を細めました。

 異例のシーズンとなりましたが、6月19日のウエスタン・リーグ開幕から1点も取られることなく好投。今季2軍での成績は12試合(12回2/3)に登板し、防御率0.00。奪三振率14.21と圧倒しました。

 そして、先月31日。晴れて支配下登録を勝ち取ったのです。オンラインで行われた支配下登録会見では、チャンスを与えてくれた球団、支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを述べていました。

 苦労人だからこそ、そうした感謝の気持ちも一際溢れていたように感じます。

大学時代に公式戦の登板がないまま独立リーグへ

 地元・新潟の強豪、中越高校時代。2009年夏の県大会決勝で日本文理に敗れ、あと一歩のところで甲子園出場を逃したエースは、敗戦の責任を背負い込みました。その悔しい思いも晴らすべく、渡邉投手は大学球界で名門の青山学院大学に進学。しかし、公式戦で一度も登板することなく4年の月日が流れてしまいました。

 そんな投手が独立リーグとはいえ「プロ野球選手」になり、そしてNPB入りの目標を果たし、1軍のマウンドに立つまでになったのです。そこには一つの出会いがありました。

「普通だったら、そこで野球辞めますよね。でも、雄大もいい意味で変なやつで(笑)。そこから歯を食いしばって、次のステップでなんとかできる道をと思ったんだと思います」

 そう振り返ってくれたのは、渡邉投手の新潟アルビレックスBC入団時から編成部部長を務める辻和宏さん(取締役総合営業部部長 兼 編成部部長)です。

 大学時代、登板がなかったことは獲得する上での不安要素だったと言いますが、中越高校時代の印象や貴重な大型変則左腕ということもあり、「必ず左のワンポイントなどで輝く場所があるはずだ」と彼の未来を信じて獲得に乗り出しました。

 辻さんも元々はプレーヤーで、大阪体育大学時代に選手から主務へと転身。大学卒業後は読売ジャイアンツの球団職員としてアカデミー事業の立ち上げに従事されました。野球普及活動への想いを強く抱いてきた辻さんは、9年前に新潟球団職員に転職して現在に至ります。

 そんな情熱を持った辻さんの胸を熱くさせた渡邉投手。最初からバンバン結果を残したわけではないけれど、その取り組む姿勢は当初から期待以上のものでした。

「うちに入ってきた時点で、人や環境を選ばず、どこにチャンスがあるか、常にヒントを求めていました。おっとりしてるんですけど、マウンドに上がると気合いというか、吠えて監督に『あんまり吠えるな』と言われるくらい(笑)。普段は無茶苦茶マイペースなんですけどね。喋りもスローペースで。でも野球になると、年長者でもあったし、後輩を指導してくれたり、リーダーシップもある。頼りになる存在でしたよ」

マウンドで吠える新潟時代の渡邉投手 ©新潟アルビレックスBC

 その貪欲な姿勢で著しい成長を見せたそうです。アドバイスを受けながら、肘の角度や高さを変えてみたり、先発も中継ぎも抑えも経験するなど、試行錯誤を繰り返してきました。オフにはオーストラリアのリーグでも経験を積みました。一年一年と言わず、一定の短期間ごとに目に見えて成長が感じられた選手だったそうです。細身だった体格もどんどん逞しくなりました。

 独立リーガーの平均在籍年数はおよそ2、3年と言われる中、渡邉投手は大卒で4年間も在籍。歯を食いしばってもう一年、もう一年と諦めずにやってきた結果、努力と根性で自らプロ野球への道を切り開いたのです。そして、新潟球団出身選手としては初の1軍登録となりました。辻さんは「本当に頑張ってチャンスを掴んだ選手なので、今後のBCリーグの選手たちの手本になって欲しい」と後輩たちの希望も託します。当時の渡邉投手のように、諦めずにしがみついてラストチャンスにかける選手が現在もいます。きっとその選手にも渡邉投手の姿は希望の光になっていることでしょう。