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“私たちの梶谷”はこんなもんじゃないと思い続けて…梶谷隆幸とベイスターズが“両思い”になる日

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/10/03

 その瞬間、セカンドベース上で小さくガッツポーズした。新たな歴史にその名、梶谷隆幸が刻まれた瞬間。レフトオーバーのツーベースは梶谷の9月42安打目。月間最多安打の球団新記録だった。あの超絶カッコいいパチョレックを、超絶ブラックホッシーぶん投げる佐伯貴弘を、青い韋駄天がひらりと追い越した。

球団月間安打記録を更新した梶谷隆幸

ずっとすれ違い続けていたベイスターズと梶谷

 ベイスターズはずっと梶谷隆幸に片思いだった。

「いいよなぁ梶谷は」小学生の時から野球をやっている高一の息子はいつもため息交じりに言う。「どんなスポーツやっても成功するじゃん、身体能力やべえじゃん」。決まって己の遺伝子を恨めしそうに私を見る。ママもそう思うよ。野球を選んでくれてありがとう梶谷って、何度思ったことか。

 だからこそずっと歯がゆかった。ギータと山田哲人がトリプルスリーを達成した時、凄まじい記録に驚愕すると同時に、ここにもう一人加わるべき人を思った。本人は全くそんなこと望んでいないのかもしれない。でもファンは、梶谷のすごさをどう伝えていいかわからなくてもがいてしまう。それくらい、梶谷の選手としての“才能”と、野球人としての“結果”は、常にアンバランスな曲線を描いて、なかなか一つのところに収まってはくれなかった。

 近づけば遠ざかる、また近づいて、遠ざかる。ベイスターズと梶谷は寄せては返す波のよう。

 とにかく打ちまくり、77試合で16本塁打を叩き出した2013年の梶谷、外野手に転向し盗塁王となった2014年、得点圏打率リーグトップという抜群の勝負強さを見せつけた2015年。若葉の頃のDeNAベイスターズの、その象徴が梶谷隆幸という選手だった。閑古バットが鳴く試合であっても、梶谷だけは一人どこ吹く風でホームランを打つ。塁に出れば走り、また走り、牽制の隙をついて本塁まで帰ってくる。外野手の動きを見てシングルヒットをツーベースにしてしまう。とんでもない点差をひっくり返す予兆はいつだって梶谷だ。梶谷がいると野球が楽しい、野球がカッコいい。

「やっと会えたね」私たちが、ベイスターズが、そう言って腕を伸ばすと梶谷はもういない。ここから……という時に限って、意地悪な神様が私たちを引き裂く。ケガに悩まされ、夏場にがくんと落ちるウェイトに悩まされ、フワッと諦めるような三振ばかりが目立つようになる。期待は落胆に変わり、喜怒哀楽を抑えようと努力した末の表情は「やる気ない」などと揶揄された。私たちの梶谷はこんなもんじゃないと誰もが思っていて、だけど誰も「私たちの梶谷」を知らないのだ。

 出自不明なトレードの噂がインターネットに散見されることもあった。そんなことあるはずないと思いながら、本当は怖かった。うちの息子からえらい専門家まで、誰もが認める才能の塊が、名前をつけられないままそこにあるのは事実だったから。環境の変化は梶谷の可能性をもっとはっきり形にするきっかけになるのかもしれない。時間は梶谷だけを待ってはくれない。悲しいかな、プロ野球は待ってくれない。ベイスターズもまた、若葉の頃から、成熟の時期に入っていかねばならない。私たちはまだ梶谷を知らないのに。梶谷と私たちは、ベイスターズはずっと片思いのままなのに。