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「浴槽の中に肌色の塊が…」“結愛ちゃん虐待死事件”母親のトラウマを黙殺した冷酷な裁判所

どうしてこんなに冷たいのか。優里被告への8年の刑は重過ぎる

2020/09/08

source : 文藝春秋

genre : ニュース, 社会

なぜ今になって思い出したのか?

「この“浴槽閉じ込め”を目の当たりにした優里被告は失神しそうなほどショックを受け、結愛ちゃんが亡くなった後まで回想不能な記憶になっていたと思われます。

 というのも、優里被告は逮捕されて以降、家庭用の小さなお風呂に入浴することが、理由のわからない恐れのために、できないでいます。浴槽内に閉じこめられる娘の姿を想起させる引き金になるため、その行為を回避してしまうのです。こうした症状から、トラウマ体験の最も重大な“ホットスポット”になっていることが推測されました」

 ホットスポットとは、最も衝撃を与えた核心部分のことだと述べて加茂医師が続ける。

「トラウマ体験というと、一時の体験のことだと理解されがちですが、実際には時間経過を持って進行する体験のことも少なくありません。そのような場合、ホットスポットが最も記憶が失われやすく、逆に、思い出す順番は最後になる。性虐待などの場合、10年、20年を経てようやく話してくれる、ということもあります」

一家が暮らしたアパート

バスタブの中でうずくまる“肌色の塊”

 実際、優里被告の記憶の回復も曲折をたどった。優里被告によれば、思い出したのは19年8月末。地裁の公判を控えようやく向き合えた捜査資料に目を通すうち、LINEの記録を見たのをきっかけに、バスタブの中でうずくまる肌色の塊の《絵(映像)》と《雄大に「見たのか」と言われたこと》の記憶が蘇ったが、前後は思い出せずその場面だけだったという。

「衝撃的過ぎて混乱していた」といい、弁護人にも明かさなかった。そのまま判決を迎えたが、続いて同10月に行われた雄大受刑者の裁判で、実際にその虐待をした張本人でありながら責任逃れに終始する夫自身の振る舞いが転機になった。

 暴行の具体的な事実を問う検察官に、“そうかもしれません”などと自ら具体的な供述を避け続けていたのだ。「夫は卑怯だ」と突き放して心理的支配から解かれた優里はようやく、弁護人に話したという。