東京都目黒区で起きた船戸結愛ちゃん(当時5)の虐待死事件で、保護責任者遺棄致死の罪で懲役8年の判決を受けた母親、優里被告(28)の控訴審で、東京高裁(若園敦雄裁判長)の判断が8日に示される。
7月に行われた第1回公判で、裁判所は弁護側が申請した40点を超える証拠を却下して即日結審しており、「(夫・雄大受刑者による)心理的支配の程度は強固なものではないと認定し量刑上の判断を誤った」という弁護側の主張が認められる公算は小さい。
ただ、公判で優里被告は、一審で十分に解明されなかった謎に光を当てることになる「ある記憶」について語り、さらに増した自らを苛む狂おしい胸の内を、吐露した。
申請された証拠の一つでもある「意見書」を執筆した精神科医で、20年にわたり東京都女性相談センター嘱託医としてDV被害女性の診断にあたってきた加茂登志子氏は「トラウマの影響で封印されてきた記憶が明らかになった以上、裁判をやり直すべきではないのか」と問題点を指摘する。
優里被告が嗚咽しながら語った「記憶」
――新しい証拠をことごとく却下した、控訴審の判断をどう見ますか。
「どうしてこんなに冷たいのかと疑問が先に立ちました。もともと、構図が非常に似通った千葉県野田市の虐待死事件で母親に下った判決は懲役2年6か月(保護観察付執行猶予5年)。これに比べ、優里被告への8年の刑は重過ぎると感じています。しかも優里被告は今回、新たに記憶を取り戻し、結愛ちゃんが亡くなるに至ったプロセスでわからなかった部分が見えてきました」
加茂医師のいう「新たな記憶」とは、7月の公判で初めて明らかになった18年2月24日に優里被告が遭遇した出来事だ。ちょうど、結愛ちゃんが衰弱の度合いを強めていく時期にあたる。
雄大受刑者とのLINEでの連絡の行き違いから偶然、一人で外出先から自宅に戻ることになった優里被告はこの日、日頃は引き離されていた結愛ちゃんの姿を探して風呂場に向かった……すると「(浴槽の)蓋が閉まっていてその上に、水が入ったバケツが置いてあった」。
蓋を開けると、裸にされた結愛ちゃんが体を丸くして固まっていたといい、ちょうどそこに帰宅した雄大受刑者から「見たのか」と言われた――7月の法廷で優里被告は、弁護人の問いかけに、過呼吸になり嗚咽しながらこの出来事を振り返った。
この一連の優里被告の記憶について、加茂医師が解説する。