1ページ目から読む
3/3ページ目

半沢のように二面性があるのが普通

 リアリティある描写になっているにもかかわらず、花の出演シーンに違和感を抱く視聴者が続出する理由は、もう一つある。

 半沢は外での顔(キャラ)と家での顔(キャラ)の二面性が描かれ、それも視聴者の違和感の根源となっている。世間の風潮的に“二面性(多面性)がある人は裏表があって怖い”という印象を抱かれがちだが、実は一面性しかない人のほうが稀有で、二面性(多面性)があるほうが当たり前だったりする。

 この話は自分自身に当てはめてみるとわかりやすいと思う。仕事関係の人に見せる顔、妻(恋人)に見せる顔、親友に見せる顔、両親に見せる顔…全部同じという人なんて、ほぼいないんじゃないだろうか? そう、現実ではいつでも・どこでも・誰に対してもキャラが変わらない人のほうが少ないもの。

ADVERTISEMENT

 だから半沢の外と家の豹変ぶりも、かなりリアルな人間描写と言えるのだ。

 しかし、多くのフィクション作品の登場人物が、物語をわかりやすくするために一面性しか描かれておらず、『半沢直樹』でも半沢以外は一面性しか描かれていないキャラは多い。

 例を挙げるなら、半沢の同期で親友の渡真利忍(及川光博)や近藤直弼(滝藤賢一)は、裏表なく常に友情に厚いキャラ。半沢と敵対する大和田暁(香川照之)や伊佐山泰二(市川猿之助)などは、表向きの顔とは別に裏で卑劣な策略を講じるが、視聴者目線では外道キャラが貫かれているため一面性しか描かれていないようなものだ。

 キャラが一面性のみで固定化された登場人物が多いフィクション作品のなかでは、外と家でのギャップがありすぎる半沢の違和感は強いかもしれない。しかし、半沢のその二面性のある人間描写や、花とのほんわかホームコメディ路線のシーンに覚える違和感こそが、恋愛論的に考えると真摯にリアリティを追求している証拠のように感じるのである。