日本と韓国の争点「韓国併合条約は不法な植民地支配だったのか」
──現在の保守派もまだ歴史観を確立できていないのですか。
「19世紀の朝鮮王朝を批判した上で、誰がこの国に近代文明を入れたのかを認め、新しい自由人によって作られたのが大韓民国であるという考え方で、自信を持って発言するのが本来の保守派であるべきです。実際にそうした発言を始めたのは、2000年代初めに私たちの同志が作った『教科書フォーラム』(注・左傾化した歴史観で書かれた韓国の歴史教科書を問題視し、これに代わる代案教科書を執筆した。詳細は後述する)が最初だったと思います。李承晩大統領が何をしたのかを再評価し、朴正熙大統領が何を一番辛く考えて政治を行っていたかを理解することが必要なのです」
──韓国併合条約は日本による不法な植民地支配だったと考えますか。それとも、帝国主義時代の万国公法で米英露などが認めていたことなどから、条約は合法だったと考えますか。
「なかなか難しい質問です。この問題は、1950年代以来、日本と韓国の争点になってきたものです。李承晩政権は1905年(第2次日韓協約)、1910年(韓国併合条約)の条約は不法だったと主張しましたが、日本政府は認めませんでした。その後、両国の立場の差は、1965年の日韓基本条約で『もはや無効』という曖昧な表現で見事に封じ込められました。私はこれ以上の議論は要らないと思います。帝国主義時代において、ある国がほかの国を併合することは、基本的には武力に基づいた国際政治の問題であり、国際法の問題ではないと思うからです。
けれども、約15年前から、韓国の李泰鎮(イテジン)氏(ソウル大学教授、国史編纂委員会委員長を務めた)は、1905年の条約は日本の強要による不法なものであったと主張し始めました。私はそれには賛成できません。詳しい実証研究によれば、高宗皇帝は日本に積極的な抵抗の意思を持っていなかったし、臣僚たちに条約の妥協や締結を命じました。後に、皇帝は条約の締結は自分の意思ではなかったと発言し、条約を否定しましたが、彼はもともと二律背反的な人格の持ち主でした。そうした点も合わせて考えると、私はあの時代の条約を国際法の次元で議論するのは難しいと思います。強要があったのかなかったのか、それはいずれも正しいと私は考えます」