文春オンライン

「月200万円のギャラが1円も残らない」…“71歳で他界”岸部四郎のあまりに壮絶な“借金地獄”

note

「借りては、返す」を繰り返す“借金地獄”

 借金を返すために、ドラマ、映画にも出演し、約3年で返済するも、その後も1000万円単位で「借りては、返す」の繰り返し。そんな中、後に再婚相手となる女性との交際が進み、93年から「手狭になって」、家賃40万円のマンションでの生活を始めた。当時は、バブルが弾け、銀行も「貸し渋り」に転じていた。そのタイミングで、「簡単に借りられるところがある」と声を掛けてくれたのが、森本さんだったという。

 岸部さんは、すぐにその話に飛びつき、立て続けに900万円を借金。それでも、高利の借金を返すことはできていたが、95年に月70万円のマンションに移るなどして、出費はかさんだという。そして、97年4月、森本さんの事務所が倒産すると、その負債約4000万円が、連帯保証人になっていた岸部さんに被さったという。

晩年の岸部四郎さん ©️文藝春秋

古美術品を6000万円で引き取ってもらおうとするも…

 この時点で岸部さんの借金は、高利業者だけで約7000万円。同年9月には、1億9800万円に膨れ上がっていたという。それでも、「ワイドショーの司会者」の立場を守るべく、岸部さんはさまざまな対策を講じていた。

ADVERTISEMENT

「例えば、昨年9月には旧知のプロダクション社長に僕の移籍を条件に保証人になってもらって、銀行から2億円の融資を受ける話が進んでました。実現すれば、利息だけで月1200万円の高利の返済がチャラになって、元利で350万円だけの銀行への返済になる。実際社長からはゴーサインが出たんですが、この話も第三者から横ヤリが入ったせいで、流れてしまいました」(98年4月29日、日刊スポーツ)

 岸部さんは「古美術品マニア」として知られていたが、借金を返すために手放す気持ちはあったという。98年2月には、別のプロダクション社長に約6000万円で古美術品を引き取ってもらう話を進めていたが、これも実現しなかった。そして、借金はさらに増えて同年4月2日、自己破産申請を決意。翌3日の番組終了後に番組降板を申し入れた。この際、岸部さんは、局側にギャラの未払い分を現金で求めているが、「生活のためだった」という。