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9月から建替え工事! 鉄道遺産・番田駅は見逃せない

 現在の相模線は言うまでもなくJR東日本の路線である。が、この路線を建設したのは相模鉄道だった。全線が開通したのは1931年。今でこそ沿線の宅地化が進んでいるが、開通当時はほとんどなにもなかったとか。そのため、相模線は人よりも相模川の砂利を運ぶのがメインのお仕事だった。寒川駅からは相模川に向かって支線が延びており、これが砂利輸送の主役。が、人を運ぶだけならよかったのだが、砂利輸送という役割のお陰で国に目をつけられ、戦時体制の中で国に買収されてしまった。結果、相模鉄道はルーツたる相模線を失って現在に至るというわけだ。

 そしてこの番田駅駅舎、相模鉄道相模線時代の面影を今に留める貴重な駅舎なのである。ただ、残念なことに9月から番田駅の建替え工事が行われることが発表された。完成後は鉄骨平屋建てのイマドキの駅に生まれ変わるとか。古き相鉄相模線の思い出を味わいたければ、今番田駅に行くしかない!

相模鉄道相模線時代の面影がここに。番田駅

 そんな番田駅を過ぎて相模野台地の河岸段丘のアップダウンを抜ければ橋本へ。朝夕のラッシュ時には橋本から横浜線に直通して八王子発着の列車も多く運転されている。こうしてローカル線・相模線の旅は、東京都内へ。八王子駅からは、中央線に乗り換えて都心に帰りたい気持ちをぐっと抑えていよいよ八高線の旅のはじまりである。

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八高線のハイライトは、多摩川を渡る小宮~拝島間

 八高線は、“八王子”“高崎”の頭文字を取った路線名から分かる通り、八王子から一路北を目指して高崎までを結ぶ。が、電化されている区間は高麗川駅まで。電化区間を走る列車はほとんどが高麗川駅から川越線に直通して川越駅に向かう。なので、電化区間しか利用したことのない人にすれば路線名の“高”は“高麗川”じゃないかと言いたくなるようだ。

八高線

 電化区間の八高線のハイライトは、多摩川を渡る小宮~拝島間。この多摩川橋梁では1945年8月24日に列車衝突事故が起きて客車が多摩川に転落、105名以上が死亡している。沿線の宅地化が進んだ今ならまだしも当時の八高線に100名以上が乗っていたなんて信じがたいかもしれない。が、当時は終戦直後で復員兵や疎開先から都心に戻る人たち、買い出し客で超満員。最近の満員電車なんて比じゃないくらいのすし詰め状態だったようだ。それが川に転落するなんて悲惨というほかない大事故である。さらに悪い事に、折からの大雨で多摩川は大増水。荒れ狂う濁流に飲み込まれて流された犠牲者も少なくないという。

 ちなみにこの事故の2年後にも米軍横田基地の軽爆撃機が多摩川橋梁を通過中の列車の上に墜落する事故が起きている。多摩川を渡った八高線は、因縁ある横田基地を横目に北へ向かい、箱根ヶ崎~金子間で東京都から埼玉県へ。完全に余計なお話だけれど、西武池袋線と接続する東飯能駅は我らが阪神タイガース・鳥谷敬選手の母校である聖望学園高校の最寄り駅である。

 八高線の高麗川駅も赤い瓦が印象的なこぶりな駅舎で、これまた駅舎好きにはたまらない雰囲気をたたえている。また、高麗川駅からは太平洋セメントのセメント輸送専用線が伸びていた。この専用線は1963年から1999年まで使われていたが今では廃止され、廃線跡は遊歩道として今に残っている。

高麗川駅