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「新垣結衣はいなかった」契約結婚サイトに見る修羅と煉獄の一部始終

希望に満ちた呪詛、この時代の“家族の入口”

2017/09/07

「セックスしていただけるのでしたらすぐに松本駅まで来てください」

 それでも、このネットの片隅にある『契約結婚募集』にて、こうも希望に満ちた呪詛が羅列されているとは思わず、話を聞いてみたくて何件かメールを送ってみたのですよ。そうしたら、なんかみんな返事が凄いのです。

「そちらの容姿に関心があります。メールに添付して送ってきてください」
「取材は構いませんがいくらいただけますか」
「セックスしていただけるのでしたらすぐに松本駅まで来てください」
「契約結婚は初めてなので分からないのですが、この口座に先払いで給料がほしいです」

 もうね、カネとセックス。それだけ。それ以外の要素はゼロ。びっくりするぐらい皆無。ああ、そういう世界の住人が集う場なのだなと。社会は広いなと。見ず知らずの他人からのメールに「生活保護のお金だけでは足りないのでお金を入れてほしい」と書ける神経の凄さ。あるいは「ルックスには自信がある」と豪語しておいて書かれていたFacebookみたらジャイ子がそのまま50歳になったような姿の自撮り画像が満載で「養ってくれるパパ様募集(はーと)」とか尋常ではありません。少なくとも正気の沙汰とも思えず、そっとブラウザを閉じるわけであります。

契約結婚募集のトップページ

誰かと暮らすという仕組みそのものの大変化

 面白い部分だけ切り取ると単なるネタの宝庫なのですが、一連の群像劇が織りなす社会の断片を見ると、考えるべきことはもっと複雑になります。実際には、述べた通り現代社会の自由さ故に親や地域からの拘束がなくなって、人は従来の家族から解放されたばかりか、その家族、誰かと暮らすという仕組みそのものも大きく変えようとしているのかもしれません。もちろん、こういうサイトに出入りしている人で、おそらくまともな人はほとんどいらっしゃらないでしょう。セックスに飢えた若者か、理由があって結婚をしたことにしなければならない男女か、行き遅れたおじさんおばさんが錯乱の果てにメールアドレス晒して「都合の良い異性」と一緒に暮らせる日を待っているのです。

 もちろん、そんなところに星野源はいないし、新垣結衣なんて絶対に来ないんでしょう。当たり前、なんですけどね。

新垣結衣はそんなところにはいない ©志水隆/文藝春秋