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いきなり厳しいものになった背番号91での船出

 邪魔をしたのは度重なる故障。腰、肘、肩……小さなものが道を阻み続け、大きな壁にぶつかったのは18年だった。左肩の痛みが限界に達し、8月にクリーニング術を受けた。長い闘いになること、キャリアの危機に立たされることは自覚していた。「僕に失うものはないんで。1日、1日悔いなく野球をやっていきたいです」。術後、いつも気さくな男は見たことのない厳しい表情をしていた。

 コロナ禍でシーズンが遅れた今季は9月いっぱいが支配下登録の期限。「これからが勝負ですね」。昌子さんの言葉は“デッドライン”を強く意識したものだった。本人の覚悟と決意も結果に表れた。昨年7月に1年ぶりの実戦マウンドに立つと、今年2月は育成選手では球団史上初めて1軍の春季キャンプにも抜てき。2軍ではローテーションを守り、防御率1点台をキープしてきた。そして9月30日――。期限ギリギリで支配下への復帰が発表されると早速、今月4日の巨人戦で3年ぶりの1軍昇格を果たした。

 それでも、たどり着いた甲子園、1260日ぶりの1軍マウンドで過ごした時間は予想以上に短かった。同日の9回に登板も制球が定まらず先頭打者に四球を与えた後、若林晃弘に左翼越え2ランを被弾。1回2失点と結果を残せず、翌日に出場選手登録を抹消された。新たにまとった背番号91での船出は、いきなり厳しいものになった。結果が伴わなければ生き残れない。それは、再び激しい競争の世界に戻ってきたことを意味する。

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 山形で感じた温もりと、さくらんぼの甘み……。僕はいろんなものをその背中に重ね合わせて見てしまう。横山雄哉の“物語”の続きをまだまだ書き続けたい。

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